bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

二・二六に思う。

二・ニ六事件から83年目の2月26日がやってきました。

近ごろ思うのは、あの出来事は軍部独裁化への引き鉄や大東亜戦争への誘導要因ではなく、戦後日本の姿を方向づけた官僚性の原点だったのではないかということです。 

二・二六事件の本質とは、軍部クーデターを逆手に取った「天皇制官僚システム」の意図せざる「カウンター・クーデタ」ではなかったのだろうか?という疑問です。

戦前における日本の立憲君主制とは名ばかりで実態は天皇制国家でした。その仕組みは、天皇が為政者であるにもかかわらずその結果責任を曖昧にするという最終責任不在のシステムでありました。そして最終責任の分散による天皇すなわち「玉」イコール「國體」の担保機能を担っていたのが天皇制官僚システムだと思います。

天皇主権とはタテマエにすぎず、重要な国家判断や決定は、支配層内部における相互の寄りかかり現象から醸成され、天皇制官僚組織その頂点に立つ長老の管理のもと内閣は組織され、内閣の決議について天皇はコメントをしても決定を追認するだけというのが実態であったと思われます。そこで官僚は軍部と政財界にすり寄り、権力への従順さを装い彼らの判断過程に参与していき、やがて天皇の御名のもと中立性を纏った支配機能を隠然として確立していったものと推測されます。

言うなれば戦前の権力機構は顕教(タテマエ)としての軍隊と密教(ホンネ)としての天皇制官僚システムがメビウスの輪のごとく双方が補強しあって國體の幻想を創りだし、國體という名の幻想共同体の構築を担っていたのではないでしょうか。

ここで誤解を恐れず二・ニ六事件の背景を要約すると、第一次大戦の経験から国家総力戦を唱える陸軍エリート、その指導のもと財界と結託して満州から北支へと戦線拡大を図ったのが統制派(建軍の本義)です。いっぽう疲弊した兵と昼夜を共にする隊付き青年将校たちは国民に塗炭の痛苦を強いて私欲に奔走する政財界の横暴を排除し、天皇御自らの統帥のもと内政と国力の充実を図るべきであるとして戦線拡大に異議を呈し昭和維新を唱えました。これが皇道派(國體の本義)です。

(注)当事者は統制派、皇道派などと名乗っておらず、この名称は事件後に使われたに過ぎません。

 

両派の論争が激化するさなか皇道派の中心的な存在であった青年将校たちに満州への配属が通知されたのです。満州に送られては昭和維新の夢はおしまいです。そこで青年将校たちは満州出兵直前に決起して天皇への直訴による局面転回を目論みました。

 

しかしクーデタは失敗に終わりました。軍部は内部抗争の醜態を衆目に晒したのです。そして軍部は天皇制官僚システムの掌中に取り込まれていったのです。つまり暴力装置として機能させるべく軍部を天皇制官僚システムに組み込むことで腕力なき官僚の脆弱性を補完したのです。さらに報道機関を取り込んで不敗神話と戦時経済による貧困脱却という大本営ポピュリズムを打ち立てました。このポピュリズムに踊らされた国民の声援をバックに彼らは満洲支配を完遂し、アヘン密売で蓄財を図り満鉄や満映を次々と成功させていきました。

ところが、担いだ神輿には国家の大計も戦争戦略もなく無謀な戦術を繰り返しあえなく敗戦となりました。

昭和天皇はニ・二六から人(というより現人神)が変わってしまったようです。「などてすめろぎは人間となりたまひしか」と三島由紀夫が嘆いたごとく二・二六のご聖断は現人神ではなく感情に身を委ねたただの人間の結果でした。これ以降、昭和天皇はヒトとして天皇制官僚システムに鎮座するだけのお神輿になってしまったのです。

 

敗戦後の日本を統治したのはGHQでした。カミカゼ沖縄戦で軍民一体の徹底抗戦をした日本民族を円滑に統治する最善の手法として彼らは国民の狂信的な支持を得ていた現人神、天皇を統治のツールとして利用することにしました。そこでGHQ天皇の戦争責任を追求する連合国を説得するため天皇の身代わりとして陸軍を悪者にして天皇を平和主義者にすり替えて東京裁判を乗り切り日本国民の歓心をも得ることに成功したのです。このシナリオは天皇制官僚システムとGHQの合作によるものでした。

ポツダム宣言を受諾するにあたって昭和天皇は国体護持を無条件降伏の取り引き条件としていました。そのご意向を実現することが即ち自身の保身となった天皇制官僚はGHQと協力して見事なお話を作り上げたのです。ここに天皇制官僚システムはGHQ官僚システムに移行したのでした。

 

やがてGHQ支配が終わり独立国家となると天皇制官僚システムを支えながら戦犯訴追を逃れた革新官僚が日本の首班となりました。そして日米安保条約の改定による地位向上という虚妄のナショナリズムを掲げ果てしなき対米追従の道をたどり今日に至りました。その孫は米国大統領の就任前にもかかわらず米国に馳せ参じてオトモダチ一番乗りとはしゃぎ回る有様です。モリカケ官僚への過分な配慮をみるにつけ神輿は軽いほど担ぎやすいとはよく言ったものだと思います。こんな首班を手玉にとりこの国を陰で主導しているのは戦前の天皇に代わり米国という「玉」を背景にしたGHQ官僚システムではないでしょうか。

敗戦後、為政者は幾多変われど国策とするのは異口同音に日米同盟の強化です。その同盟の根幹をなすのは日米安保条約であり安保法体系は国内法の上位法であり(砂川裁判の最高裁判決)また日米合同委員会の日本側代表は外務省北米局長です。言うまでもなく官僚が下位の法体系より上位の法体系に従うのは当然です。GHQ官僚システムよ永遠なれです。良くも悪くも官僚あっての日本国。その遠因は二・二六にあるのかもしれません。