bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

憲法と戦争

岸田首相は首相就任の直後から憲法改正言及し「今こそ改正を成し遂げなければならない。国民的な議論を盛り上げていく」と並みならぬ意欲を示しています。

私がいつも不思議に思うのは、憲法改正というと真っ先に話題に上がるのが、どうして個別条項でしかも第9条なのかということです。

「群盲象を評す」で憲法第9条について国民の多様な解釈と意見があって然るべきかと思います。

しかし、憲法を客体とし国民を主体とする二元論的な思考法は我が国の憲法に関しては妥当とは思いません。
戦火の廃墟から立ち上がった国民が同胞330万人の屍を乗り越えて築き上げたのが
憲法に基づく統治体制と社会の基本秩序でありそれが今の日本を作ってきたのです。

日本はデカルトの罠に陥ったのでしょうか、憲法改正の議論となると第9条のような特定条項が総論に優先して
議論の対象となるのは不思議なことだと思います。
まるで国家ビジョン無くして場当たり的政策を積み重ね国益を失う日本政府にも似て、
まさに木を見て森を見ずのごとき本末転倒の議論になりかねません。

憲法を改正するならまず憲法とはいかなるものか、憲法論とその定義を明確にすることが
議論の前提条件となる筈です。

憲法とはなにか、それは「社会を成り立たせている基本秩序であり、この秩序に基づき承認された政治権力を支援、
監視する機能」であると私は定義します。


憲法三原則といわれるのは基本的人権国民主権・平和主義ですが、この三点セットの共通基盤となる思想は
基本的人権だと思います。

基本的人権とはなにか、それは「すべての人が生命と自由を確保しそれぞれの幸福を追求する権利、
簡単に言うと人間が人間らしく生きる権利のこと」であると思います。

この理念については、憲法第97条に次のように謳われています。

「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、
これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、
侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」

このように日本国憲法には《人類の多年にわたる》国家や民族を超えた人々の憲法観と人権思想が
《侵すことのできない永久の権利》として反映されていると思います。

基本的人権において自他二元論があり得ぬごとく、私たちは生まれた時から憲法に包まれ主客一体で暮しており、
憲法と国民一元化された生態系として「私たちは日々、憲法を生きている」のです。

そして戦争とはなにか、「戦争とは相手方の権力の正統性原理である”憲法”を攻撃目標とする」(ルソー)
日本への戦争とは、領土侵略などではなく基本的人権への攻撃そのものなのです。

細々と述べましたが、「憲法ありて国家ビジョン無きこと」、これが憲法論議の前段階にしてかつ
国家の本質的問題だと思います。