bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

うつろい

普段あまり取引のない信用金庫から昨日封書が届きました。

宛名の上には赤い下線が色濃く引かれ「お客様への重要なお知らせ」と記載されています、

さっそく封を切ると「マネーロンダリングおよびテロ資金供与に関するガイドラインを踏まえお客様とのお取引の内容状況等に応じてお客様に関する情報やお取引の目的等を定期的に確認させていただく取り組みをおこないます。

お手数でございますが本紙記載の回答期限までに同封のお客様情報を確認書に該当事項をご回答の上本人確認書類と共に返信用封筒にてご返送くださいますようお願い申し上げます」とあり金融庁からの通達(省略)が添付されています。

 

情報確認書をみると、当金庫とのお取引目的を全てチェックくださいとあり回答欄には給与受け取り、年金受け取りから始まり事業費決済、融資、外国送金、生計費、貯蓄、資産運用払い、学費支払い、クレジットカード決済等など記載されており各項目に該当するものをすべてチェックせよという指示です。

さらに身分証明書としてマイナンバーカードのコピーか運転免許証、保険証、パスポートなどの写しを添付してくださいとある。

 

マネーロンダリング、テロ資金云々と名目は立派だが、これでは明らかに個人情報の開示要請と考えざるを得ないのではないか、ひいては個人のポケットに政府が手を突っ込んでくる可能性を多分に暗喩するもので、国民の権利と自由の規制または制限にも繋がりかねない調査ではないかと疑問を感じました。

 

思案投げやりでペンを手に取り回答書を見つめていると「特攻の思想」(草柳大蔵)の一文が目の前に浮かんできました。

“「特攻」は「特別的攻撃」が死を主観にゆだねているのに対して、死を客観にゆだねている」”(筆者注、自決でなく「他決」による自決)

 

2005年に施行された個人情報保護法に疑問を抱き個人情報保護士を取得一貫して国家の個人情報法制に異議申し立てをしてきました。

しかし、「うつろ」な状況は「うつつ」へと移ろいで来たようです。

この国ではいまや個人情報という「生」同様に根源的かつ絶対的な価値でさえ主観は客観にゆだねざるを得なくなったのかと慨嘆しました。

 

思うに戦後日本は与えられた歴史的、社会的な状況に即応してアメリカとの同盟関係を国家存立の基盤としてもっぱら経済発展に注力してきました。

その帰結として、一途な国民性は国家運営の目的・主語(国民)から離れて手段・述語(経済効率と効果)に偏重し公共機関を民営化、市場にゆだね

今や国民国家の崩壊を目前するに至ったのではないでしょうか。

岸田首相の会見は述語は多様ですから主語はいかようにも変化させることが可能であり、多くの人は仮想主語となり何となくそうだろうなと思ってしまうのでしょうか。