bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

アメリカ大統領選挙に思う、社会のシンギュラリティ。 

アメリカ大統領選挙ではトランプ、バイデン両候補による政策論争はほとんど見られぬまま両者の非難応酬のうちに国民投票が終わりました。

今回の選挙ではトランプ大統領の独善的な政治行動がアメリカ社会をトランプ派と反トランプ派に国民を分断させたといわれます。

しかし異端者の言い分というものは昔から変わらず、今ある考えや教えを冒涜しているのではなく、本来の純粋な姿を取り戻そうとしているのだーという見方もあり得ます。

またアメリカ社会の分断現象はトランプ大統領の就任前から兆候を見せていたと思います。

過去百年にわたるパックス・アメリカーナを支えてきたのは、自由民主主義の理念だといえます。アメリカ国民の信頼を得たこの理念が国家の精神的バックボーンとして存在していたといえます。しかし、その理念そのものが長年にわたり民主政治と国民国家に対する疑念を生じさせて国民の分断を引き起こしていたのです。

 

 

このようなアメリカの背景を以下に記載します。

 

一つは民主主義と自由主義の協調関係に介入してきた新自由主義グローバリズムの影響です。

新自由主義は「個人の自由」(縦に伸びる糸)と「集団の民主主義」(横に広がる糸)が織りなす予定調和の社会にほつれを、グローバリズム国民国家アイデンティティ(差異化)に懐疑と動揺(普遍化)をもたらしました。たとえば国民の公共的討議とは本来より、それを通して個人の主体と集団的意見が醸成されていくプロセスでしたが、新自由主義は単に私的欲望と利害のバランスをとる市場へと変質させ、あげくは政治までも市場化してしまいました。民主主義の実現手段を票の取り引きの市場にしてしまったのです。

 

そもそもアメリカの民主主義とは、アレクシ・トクヴィルが「アメリカのデモクラシー」で指摘するように、「自由」(私)を根源概念とするもので「平等」(公)は遅れて追加された異質の従的概念でした。それが南北戦争を経て両概念が均等価値として認知されてから国民共通の認識となる迄に1世紀を要しています。

 

自由と平等という時には対峙する概念を融合して水平構造の思想(一人一票)を基盤とした民主主義政治、いっぽう多民族の統合という垂直構造の思想に依拠する国民国家との相性は必ずしもいいのとはいえません。

 

アメリカが、この問題を相克できたのは第二次世界大戦による僥倖でした。この戦争は経済的繁栄をアメリカにもたらすと共に移民の国家を民主主義の旗の下に人心をまとめ勝利した名誉ある国民の国家アメリカへと変貌させたのです。

そして民主主義を国家の大義とするアメリカが誕生して世界に向け民主主義布教活動を開始したのです。その試金石が日本でした。

 

ところが、今や自由と平等の本質的に相容れぬ矛盾が、新自由主義とグローリズムにより露呈され、両概念の亀裂は拡大して蹂躙され今や空虚となった空念仏の民主主義が徘徊する社会状態にあるように思えます。

 

二つ目は、多民族・移民社会を基盤とする民主主義国家の本質的な課題です。

それは、数(多数決民主主義)と差異(人種)に関する評価と価値判断の問題です。

数と多様性の概念がそれぞれに内包する政治的な特性は量と質の概念とはまったく異なる、アイデンティティとデイグニテイの問題とます。両概念の融和的な統合と解決ー政治的な整合性を担保する論理ーが構築できないことが大きな問題です。

その結果、民主主義的な手段を利用して多数の支持を得た非民主的な思想と政治体制が免罪符を獲得して市民権を得るような事態が起きています。多数派による集団的エゴイズムが民主主義の禊ぎを経たという美名のもとに正当化され、既得権益層と無産層との分離と経済格差を拡大させ自由と平等を損傷しているといえます。

 

三つめは、ポピュリズムナショナリズムの出口なき悪循環、極端な国家主義グローバリズムとの葛藤が生む社会の混乱、これに対するに政治では解決できず国民も問題を認識しながら対処策を講ぜず放置してきた結果がトランプ大統領の極論に絶望的な救済を求める情緒的世論を生じさせていることです。

 

不満分子としての知識層が拡大

加速拡大するサイバー社会

 

以上の考察からアメリカ社会の分断はトランプ大統領という個人がもたらしたものではなく、アメリ社会の基盤である精神構造そのものが大きな問題に直目している、その表象と思えます。

いうなれば社会のシンギュラリティ「抜本的価値転換への特異点」を直前にした事態だと言えます。

 

日本を含む多くの先進資本主義国家が、資本主義と民主主義そして国民国家という社会構造が老朽化して制度疲労を起こしているうえに、さらに新自由主義グローバリズムに席巻され専制国家に変身しかねない状況に追い込まれていると思えます。出口なき閉塞感が国民にもたらす漠然とした不安と焦燥、今のアメリカ社会がその先取経験をしているように思えます。