bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

マイナンバーカードの混乱は手段の目的化が原因だ。

現在マイナンバーカードの累計申請数は総務省ホームページによると97,157,317で人口に対する割合は77.2%に達しています。一方、マイナンバーカードに関連するトラブルが続出しております。

 

そもそもマイナンバーカードの発端となったのはマイナンバー制度です。この制度は個人情報保護法という一般法を追いかけて作られたマイナンバー法という特別法(同一の事項が一般法と特別法に規定されている場合は特別法が適用)に基づく制度であり、その趣旨は個人情報の機密性と安全性を確保することが主たるものです。ところが総務省マイナンバー制度導入のポイントについて、次のような説明をしています。(総務省ホームページより抜粋)

 

(国民の利便性の向上)

これまで、市区町村役場、税務署、社会保険事務所など複数の機関を回って書類を入手し、提出するということがありました。マイナンバー制度の導入後は、社会保障・税関系の申請時に、課税証明書などの添付書類が削減されるなど、面倒な手続が簡単になります。

(行政の効率化)

マイナンバー制度の導入後は、国や地方公共団体等での手続で、個人番号の提示、申請書への記載などが求められます。国や地方公共団体の間で情報連携が始まると、これまで相当な時間がかかっていた情報の照合、転記等に要する時間・労力が大幅に削減され、手続が正確でスムーズになります。

(公平・公正な社会の実現)

国民の所得状況等が把握しやすくなり、税や社会保障の負担を不当に免れることや不正受給の防止、さらに本当に困っている方へのきめ細かな支援が可能になります。

 

 国民の利便性の向上に行政が資する件に関しては個人情報に限らずとも、識者が指摘してきたように従来の縦割り行政を国民視線で一本化すれば多くの問題は解決可能となるものでしょう。また公平・公正な社会の実現は政治の本質的な重要課題です。マイナンバーなどの行政ツールをもってして実現できるなどと多くの国民は夢想すらできないでしょう。

行政機関自身にとっては業務軽減になっても国民のメリットは見えてきません。制度導入後6年経過した昨秋になってもマイナンバーカードを取得したのは全国民の約半分という現実がその証だと思います。

 

こんな状況下、グローバルなDX化の波が日本に押し寄せました。そこで急遽浮上したのがマイナバーカードを利用した国民背番号プラットフォーム(徴税から徴兵までの収奪システムと給付金管理システム)の構築であろうかと思います。急拵えのデジタル庁がマイナンバーカードのメリットとして掲げたのは以下の項目でした。

1.本人確認書類になる

2.コンビニで各種証明書が取得できる

3.健康保険証としても使える

4.マイナポイントももらえる

5.新型コロナワクチン接種証明書の電子交付にも利用

6.オンラインで行政手続

7.「マイナポータル」で暮らしがもっと便利に

8.民間のサービスでも使える

 

なるほど多くのメリットがありそうです。しかし、なぜ公的サービスの利用でポイント(税金)がもらえて民間のサービスでも使えるのでしょうか。個人情報の機密性は担保されるのでしょうか等々。そんな国民感情に業を煮やした河野太郎デジタル相はマイナンバーカード取得促進のため2万ポイント付与という子供だましにも劣る愚策を弄しましたがその効果は限定的でした。そこで6月2日に改正マイナンバー法を成立させて、2024年秋には現行の健康保険証を廃止して「マイナ保険証」に一本化、マイナンバーの年金受給口座と紐づけることにしたのです。保険証を停止するとは、すなわち国民の生命を人質にすることであり、年金受給口座をマイナンバーカードに紐づけるとは政策の大転換であります。ことはマイナバーカード取得云々の話ではありません。まさに異次元のマイナバーカードです。

 

国民皆保険制度も年金制度も敗戦の焼け跡から政府と国民が共同で営々として築き上げてきた社会インフラです。そのインフラもいまや幾多の問題を露呈し制度疲労から破綻の兆候さえみせつつあります。それにも関わらずかような問題を包摂した制度はそのままにして、国民が馴れ親しんだ運用手段を強引に捻じ曲げてでもマイナンバーカードの完全普及を図るというのです。

 

マイナンバーカードとはマイナンバー制度の運用手段であり、マイナンバー制度も国民の利便性、行政の効率化そして公平で公正な社会実現のための方策に過ぎません。

しかし、上述してきたように本来なら目的達成のための手段に過ぎないマイナンバーカードですがその完全普及がいまや至上命題と化しているのです。

何時しか手段を目的にすり替えた。そのために保険証など他の手段も統合したマイナバーカードとして目的化を後付けで正当化する。そのため独断的な法制化を強行しているとも思えてきます。

 

思い起こせば平成の30年にわたる規制改革とは、マイナンバー制度と同様に美辞麗句を列挙した手段を掲げましたが、その手段を目的化してきたのではないでしょうか。

失われた10年が恒常化した社会に馴れ親しんだため、いつ達成できるかわからない本来の目的を喪失して私たちは目先の動きがわかりやすいだけの手段をいつの間にか目的としてしまっているのではないでしょうか。

 

近ごろ生成AIが注目を浴びていますが、やはり手段が目的化されてしまう不安を感じます。

目的というものは揺らぎある日々の状態のみ重ねを経て達していくものであり、目的達成のための効率化や利便性を使命とする手段とは別次元の概念だと思います。

誤解を恐れずにいうならば、目的とは平和のようなものであり、手段とは平和維持、達成のための戦争のようなものだと考えます。

 

チャットGPTは日々メタデータの蓄積が幾何級数的に行われていることから確かに文書作成の手段としては期待し得るものかもしれません。そして生成AIはインターネットのようにやがて文明の発展に寄与することになり得るという予感もします。

私もチャットGPTを試してみました。

 

そこで改めて気が付いたことは日本語の特殊性です。

英語26文字(大文字入れて52)ドイツ語は69、フランス語は82からなる言語のようです。他国の言語も中国を除くとせいぜい100文字程度ではないでしょうか。

しかし、日本語は常用漢字2,136、平仮名77,片仮名82と約2,300にもなります。

さらに音読み、訓読み、送り仮名など複雑です。

チャットGPTを使った文書の趣旨は読み取れますが、然るべき日本語の文章とはいえないものでした。いかに多量なデータを分析しても俳句や短歌などに込められた情緒や隠された意図などを解析して編集できるのか疑問に思います。

 

文明の進化という生活向上の一手段、それが日本では高度経済成長の成功を背景に経済成長が至上命題となり国民的な道徳律にまでなるという成長神話を生んできました。

その陰で日本古来の美徳や風習が姿を消していったことを忘れてはならないと思います。

漢字(真名)を取り入れた日本は仮名(真名に対する仮)を生み出し、話し言葉を平仮名として日本語を生みだしました。仏教や儒教をはじめとして多くの生活手段などを日本は異国から取り入れ日本化(内生化)することで日本文化を構築してきました。

 

しかし、インターネットやスマホの急速な普及は、我が国に日本化を完成する時間的余裕を与えることなく逆にグローバル化を進行させているようです。

 

文明の進化とはプロセスが明快なだけに戦争のごとく華々しくて誇らしい気分にさせるものです。いっぽう文化とは平和のごとく一途でありながら多様性を受容する平凡さと工夫の積み重ねが生成していく地味な状態です。

 

生成AIに関する日本の状況を見ていると、マイナバーカードと同じく手段と目的の取り違えが起きかねないのではないかと一抹の不安を感じます。