bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

インパール作戦

「朝起きてから山形新聞AERA週刊金曜日の原稿をまとめ書き。大阪万博インパール作戦マイナンバーカードについて書きました。始めた作戦を途中では止めることができない「総長賭博」体質はたぶんもう治りません。でも、自分たちがそういう国民文化のうちにあるという「病識」は持った方がいい。」

これは7月17日付け内田樹さんのツイッターです。

 

傲慢不遜ですが山形新聞AERA週刊金曜日も読まずに思ったことを書いてみました。

 

まずマイナンバーカード問題をインパール作戦に例えるとは秀逸な発想ですね。脱帽!

しかし大阪万博国際博覧会であり日本政府が参加各国の展示会場などに指示や制御などが容易にはできない国際間の催しですから、マイナンバーカードという国内問題と同列て論じる性質のものではないと思います。

 

それよりも国民の関心事はマイナンバーカードが引き起こす止まることのないトラブルでしょう。この件に対する政府の対応とくに、デジタル庁河野大臣の作業現場に出向かず威丈高に発する「前倒し」の連呼は、インパール作戦で避暑地に居座り無謀な死の行進を続行させた牟田口中将の姿を彷彿とさせるもので悪夢のデジャヴです。ご両人とも自ら指揮を執る戦術についての阻害要因を究明、分析することは一切なくいったん決めた戦術は何が何でもがむしゃらに押し通すの一点張りで視野狭窄症に他なりません。

戦術とは目的達成への一つの手段に過ぎないことすら認識せず、わき目も振らずひたすら欠陥だらけの戦術の完遂に向かう真面目な指導者ほど怖いものはありません。そこで起こるの国家よ組織の目的が副次化され手段が目的化されてしまうことです。

そして指導者の偏見と独断がいつのまにか客観的で合理的な判断であるとする空気が醸成され神話が生まれていくのです。

これは内田さんのいわれる「国民文化」ではなく私は民族性であると思います。そして「病識」とは手段と目的の転倒であり、いうならば統合失調症だと思います。

 

また「総長賭博」に触れていますが、これは山下耕作監督の『博奕打ち 総長賭博を指してのことだと思います。この映画は親分が白といえば黒いものでも白とする任侠もの(忖度の美化など)ではなく、「組織」と「家族」そして「個人」この三つが併存し難い日本社会のトリレンマ(日本の伝統的な悲劇)を取り上げて日本社会に対して問題を提起した映画でした。三島由紀夫ギリシア悲劇に通底する構成と絶賛したのもむべなるかなの作品です。「総長賭博」体質を私はいまだ引きずっています。しかし何ら恥じることはありません。