bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

言い換えの文化

「言い換え」とは、ものごとをより明確にするために別の言葉で表現することである。ところが、本来の意味そのものを変えてしまう言い換えがある。それは、情報の受け取り手に誤解や混乱を引き起こすことを意図した表現である。その多くは権力側の自己正当化や失政の隠蔽を目的としたものであったが、いまや一般社会においても言い換えは日常化している。

 

菅前首相の最後の記者会見を共同通信は次のように報道している。「就任以来、官邸で20回目となったこの日の会見では、(中略)質問と回答がかみ合わない場面も目立ち『説明不足』との批判を最後まで払拭できなかった。」

 

マスコミはじめ多くの識者は菅首相の答弁を「説明不足」と批判しているが、私は「説明不足」ではなくて菅首相の性格にも起因する「説明回避」と表現すべきである。官房長官時代から、彼の答弁には事態を説明し質問に回答しようとする姿勢が感じられなかった。首相就任直後の日本学術会議の委員6名に対する任命拒否では一層この感を強くした。任命拒否の理由を問われると「総合的かつ俯瞰的に判断した結果」と抽象的な概念を述べたのみでそれ以降は具体的な説明をしていない。任命拒否の理由説明を放置したまま首相を退任するのである。これは「説明不足」ではない。官房長官時代から一貫して「説明回避」そのものが本質なのであろう。

 

 

放置といえば、コロナ感染者の「在宅療養」という言葉もまた「在宅放置」の言い換えである。「療養」とは、病気を治すために休養することである。しかし、感染者は医療機関の診察さえ受けることができず、病気を治す手立てなどまったく分からずただ自宅に足止めされているのである。これを「在宅治療」と言うのは、国民を欺く政府やマスコミの言い換えであり生命に関わる問題ゆえに大きな問題である。もとはと言えば後手後手のコロナ感染対策が招いた医療崩壊は政府の責任である。その結果、受け入れる病院がなく在宅を余儀なくされ保健所からの電話一本で病状聴取を受けるだけで何らの療養も受けられない。国家が在宅を強制し国民を放置しているのである。それを、あたかも医療行為を施しているかのごとき幻想を催させる「在宅療養」という言葉に置き換えているのだ。

 

何故このような偽装の言い換えが横行しているのだろうか。その根源は明治維新にあるのではないだろうか。明治維新とは統治者である徳川幕府に対する薩長のクーデタであり「維新」ではなく「謀叛」というべきものである。大義なき薩長天皇を担ぎあげることで幕府への反逆をカムフラージュした。そして内乱を回避すべく大政を奉還した幕府に対して、「賊軍」であった薩長は自らを「官軍」と言い換えて反逆行為を正当化したのである。さらに、徳川幕僚が成し遂げたペリー来航以降の日米和親条約など無血開国の輝かしい成果を詐取して「葵への謀反」を「菊の盾」と言い換えて政権を奪取したのではないか。さらに、「勝てば官軍」という道義なき勝利至上主義をこの国に根付かせたのである。

 

明治維新以降、政権による国民欺瞞を目的とした言い換えは枚挙にいとまがない。その代表的なものは大東亜戦争における敗退を言い繕った「転進」実際は「撤退」、米軍占領下における敗戦責任を糊塗する「進駐軍」実際は「占領軍」などであろう。なかでも、典型的なものは大東亜戦争の「敗戦」を「終戦」と言い換え終戦記念日まで設けたことであろう。終戦記念日とした8月15日とはポツダム宣言受諾の詔書昭和天皇自ら国民に朗読して停戦を命じた日であり、終戦は米艦ミズーリー号上で行われた降伏調印日の1945年9月2日なのである。

さらに政府は敗戦責任を反省することなく、臆面もなく「一億火の玉」を「一億総懺悔」と言い換え国民を敗戦の共犯者に仕立てあげたのである。「終戦記念日」は敗戦責任を放棄すべく国家が国民に仕掛けた欺瞞の罠であった。その欺瞞は敗戦責任を総括することなく闇に葬り、A級戦犯容疑者を総理に押し上げ、その孫を二度までも総理にしたケジメなき無責任社会を生み出した元凶といえるのではないだろうか。