bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

令和三年夏の敗戦。

7月7日付け共同通信のまとめによると、新型コロナワクチンの住民接種の予約受け付けを停止もしくは制限している自治体は、少なくとも67市区町であり、その原因は国によるワクチン供給が7月から減少するためと報じています。
国内に供給源を持たない日本は海外からのワクチン供給に頼らざるを得ません。しかし新型コロナ蔓延に処する政府方針は当初から不明確であり世界のワクチン獲得競争に後塵を拝していました。そのため菅首相訪米の際にファイザー社のトップにかけ合いワクチン供給を要請したという報道をあたかも供給量は確保されたごとく錯誤した国民に問題はあるというものの、その幻想に悪ノリして誇大宣伝をした首相と現実の供給量に見合う接種態勢を敷けなかった政府の責任は重大です。集団そして職域接種と首相自ら陣頭指揮を取り憲法違反とも思える(議会承認を経ず)自衛隊を出動させてまで接種態勢拡大を図った、しかしその裏で実はワクチンがどれだけあるか把握していなかったというのですからまったく呆れてしまいます。


そもそも、政府は当初から新型コロナ対策には
消極的でした。その理由は東京オリンピック完遂のため、なんとか新型コロナ蔓延を問題にせず穏便にしておこう、できればなんでもないと闇に葬ってしいたい政権(都知事を含め)の保身維持願望が国民の健康維持より優先されたためと思われます。このような国民不在で自己保身優先の政府対応は10年前の3・11と福島原発事故に対する弥縫策の小出しによる国民愚弄策に類似しています。その象徴的な出来事が、苦境に喘ぐ被災者が数万人に達し汚染水が積み上がる中で、安倍前首相は東京へのオリンピック招致スピーチで、この問題は「アンダーコントロール」だと世界に公言したことです。
そして今回の新型コロナ蔓延下でのオリンピック強行という政府対応の根底には、オリンピックを未だに美化する日本国民の心情とアスリートへの同情傾斜という情緒的国民性を利用してオリンピックを契機に経済活性化と国民精神高揚を図るパンとサーカスならぬ旧態然の統治策で政権の維持確保を図る目的があるためと思われます。それにしても、国民の生命とオリンピックという比較対象にもなり得ない二つの事象を両論併記で思惟する政府とは何を目的にしているのか判断に苦しみます。本当に人道にも悖る国民を蔑ろにした話だと思います。

ここで想起するのは、あの敗戦で明確になった失敗の本質です。
指導者の独断と偏見はいつの世も変わらぬものの、敗戦の大きな要因は戦略と兵站の失敗であったと思います。

昭和16年、将来の日本を担うエリートを集めた総力戦研究所が出した対英米戦の予想は、奇襲作戦を敢行し成功しても緒戦の勝利は見込まれるが、物量において劣勢な日本の勝機はない。戦争は長期戦になり、終局ソ連参戦を迎え、日本は敗れるというものでした。これに対し東条陸相は「机上の空論、戦争はやってみないと分からぬ」と切捨てました。また同年、軍官財学の日本の英知を結集した秋丸機関の研究成果「対米英蘭蔣戦争終末促進に関する腹案」は、勝利は覚束ずどこで戦争を止めるかが問題で戦争終結への基軸は西進戦略であるとの結論を提示しました。
ところが大本営の最終決定は海陸両軍の面子を立てた東西への両面進出策となり、もとより乏しい兵站の崩壊を招き自ら墓穴を掘ることになりました。

あの戦争は国家戦略も思想もなく明らかに兵站を無視した目的なき拡張戦術の累積でしかなかったといえます。日本軍は昭和17年4月までに東アジアほぼ全ての地域を支配下に収めて開戦当初の占領予定地を手に入れました。ところが、この段階で初めて日本軍は頭を悩ませたのです。なぜなら次の作戦つまり目的がないのですから。いっぽう日本海軍は、石油神話をでっち上げ無謀な東進策で真珠湾攻撃を敢行し一応の戦果をあげましたが肝心の米航空母艦の主力部隊を逸したのです。その失点挽回の急遽戦術が米航空母艦部隊を殲滅すべく計画されたミッドウェイ作戦でした。しかし、暗号が一部解読されていたこともあり指揮官は戦局を見誤り致命的な惨敗を喫しました。
本来ならこの時点で戦争継続の見直しなり終結の画策が出ると思いきや、海軍は大惨敗をひた隠しにし、陸軍は比島陥落後の米国動向を推測できず兵站を無視して更なる南下策を強行しました。
さらに軍指導部は戦闘能力と戦果を疎かにして情緒的妄想を拡大して勝利よりもただ戦うこと、それが勝利を招くすなわち軍首脳陣の保身とばかり戦線の実情を把握せず前線部隊に無謀な戦闘を指示し物資補給も援軍も行わず叱咤激励する精神論のみを盾に大本営発表という権威ある虚報を流し続けました。
そしてガダルカナルインパール戦をはじめ戦死者の半数近くが戦死ではなく病死や餓死という悲惨な終末を迎えることになりました。まさに戦略の失敗と兵站軽視の結果といえると思います。

それにしても、あの戦争と今回のオリンピックは当初の大義からのすり替えまで酷似しています。
あの戦争では「自立自存」の戦からアジア植民地の解放を目指す「東亜共栄圏」確立へ。今回のオリンピックでは「福島復興」から「人類がコロナに勝利した証」へと赤面せざるを得ないほど空虚な大言壮語ですが、まったく国家ビジョンのない機会主義の政治を裏付けているものと思います。

専門家の意見は都合のいい所だけをつまみ食いひたすらオリンピック遂行とワクチン接種の拡大で政権維持に走る政府、その「台本」営発表を垂れ流すマスコミ、その間隙を縫い甘い汁を吸う大企業と既得権益層そして貧乏くじを引かされるだけの国民。
無能な為政者と保身優先の政府がもたらす戦略と兵站の失敗により、泣きをみるのはいつも私たち国民です。
あの敗戦を終戦記念日と言い換え失敗の反省も総括も行わずここまできてしまった永久的敗戦国、日本。
いまそのツケが回ってきています。
令和三年夏の敗戦。
私たちは今度こそ覚悟して失敗の総括を行うべきです。