bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

「二・二六に思う」ーあの日の雪は汚れていたのかー

天皇が年頭の感想で語った満州事変に始まるあの戦争は敗戦から70年、そして今日は雨降りの2月26日、二・二六事件79年目の記念日となる。

あの戦争は国民不在の状況で哲学なきエリートと既得権益者が結託した戦争であり金権強欲主義の敗北でした。

一方、明治維新から身分差別を打破し国民の時代を築いてきた大日本帝国の日清・日露戦争は国民の戦争としての勝利を得たものといえましょう。

ところが昭和にはいると財閥を先頭に政治家、官僚の中に労働者の失業、農民の飢餓をよそ目に濡れ手で粟の巨利を得る金権政治に奔走する輩が続出、その果てしなき強欲は軍部と共謀して満州事変を引き起すに至りました。

そこで社稷を思う心なき政治家、私利私欲に走る官僚、富を誇れど謝信なき財閥を君側の奸として排除すべしと満州派兵直前の青年将校が起こしたクーデターが二・二六事件でありました。

青年将校は自分の起こそうとする革命は天皇がやりたいはずの革命であるとして(それゆえ君側の奸を排除すると蹶起声明に記しました)天皇を戦略的道具立てにしたつもりが逆に天皇のカウンタークーデター(軍部指導層を巻き込んだ陰謀)に絡めとられてしまったのです。

その結果は軍部独裁政治への道を開き皮肉にも彼らが戦線縮小すべきと異議を申し立てていた中国戦線拡大に弾みをつけることになってしまいました。

青年将校のクーデターとは天皇が軍の統帥権を掌握する天皇ヒエラレルヒーへの服従を拒否するものでありながら自己存立の原点は天皇絶対主義という自己撞着を克服できず果てしなき矛盾の果てに消滅する運命でした。

このように戦前の右翼の悲劇は天皇を戦略的に利用するつもりが自己絶対化と天皇至上主義が相克できず最後は自らを抹殺せざるをえぬという宿命にあったことだと思います。

三島由紀夫の「憂国」はこの自己撞着の論理から脱却できず天皇への怨嗟のうちに悶絶、切腹する青年将校の姿を切実に描き切っています。