bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

『コンテキストの時代』-書評

 

スマートフォンを失くすくらいなら自動車を失くした方がましだ!
冗談ではなくそうかも知れないと思う人が少なからず存在するのではないだろうか。

急増するインターネット接続依存症その媒介助長機能として縦横無尽のスマートフォン。なぜか手許にスマートフォンがないと不安で落ち着かない。
もはやスマートフォンは通貨に次ぐ必需品になったのかもしれない。

そんなスマートフォンの魔力はどこにあるのだろうか。
本書を読んでそれはコンテキストの創造能力にあるのだと想定してみた。

コンテキストの構成要素はモバイル、ソーシャルメディアビッグデータ、センサー、位置情報でありそのプラットフォームがクラウドコンピューティングであると本書はいう。

なるほどその通りならばまさにスマートフォンは万能だ、まことにわかりやすい。

かっては豊かな生活というコンテキストを象徴する自動車(モノより想い出という名CMが懐かしい)はいまやスマートフォンに日常生活のコンテキスト・システムの中心を奪われつつあるのだ。

だから自動車メーカーは血道をあげて自動車をスマートフォン化しようとしているのだ。でもその結果は見えていてコモデテイ化の果ての敗者でしかないのでは・・・車はウエアラブルにはならないもの。

『帳簿の世界史』-書評

 

会計が文化の中に組み込まれた社会は繁栄してきた。この主張を裏付けるヨーロッパ政治社会史の手引書ともいうべき本です。
その解析手法は秀逸で気楽な読み物として登場する人物、逸話への興味は尽きません。

無理を承知で勝手な時系列で要約をしてみます。

 

紀元前。
ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスは透明性の高い精密な会計で自身の政治的正統性を功績に結びつけ帝国発展の礎を築きました。

古代。
聖マタイは浪費を避け富への誘惑を絶ち誠実に心の帳簿をつけよと説きました。つまり精神の帳簿という会計文化をキリスト教に持ち込んだのです。

中世。
キリスト教徒は善行と悔悛に加えてキリストの血の代償により罪を帳消しにできるという心の会計の借方と貸方を学んだのです。

ルネサンス期。
教皇庁との取引で財を成したメディチ家の当主コジモはヨーロッパ最大の富豪となると法律でフィレンツエの土地所有者、商人に複式簿記の維持を義務付けその監査記録は今日まで保存されているということです。

近代。
オランダ総督マウリッツは複式簿記を学び政権運営にそれを導入した史上初の為政者でした。そして17世紀ヨーロッパで最も識字率が高く会計の理解度も高い国として黄金のオランダ時代を迎えたのでした。

さらに太陽王ルイ14世を支えた会計顧問コルベール、緻密な原価計算で大成功をおさめた英国の名門ウエッジウッド、奴隷も個人帳簿に計上した米国のジェファーソン、会計を忌避したヒトラー・・・。

会計システムを社会の中に組み込んできた社会が繁栄したのは何故でしょうか。
それは無味乾燥な数字の羅列から宗教的、文学的な意味合いを読み取ることが出来るほどに文化的な意識と高い意志を持つ社会が育ったからです。その背景には透明公正な会計と説明責任の完遂(日本語ではうまく説明しきれませんがFinancial accountabilityということです)が大きく寄与したためでした。

この本はいつか来る自身の清算の日を恐れず迎えるための手引書とも言えましょう。

『国家の罠』−書評


小泉政権の熱狂から10年経過したいま本書を再読。
そうすると安倍首相一人勝ちの背景が忽然と浮かび上がってきました。

あの当時は鈴木宗男氏への国策捜査に国民は熱狂しました。
国策を大義名分にした成り上がり政治家が外務省情報分析官と組んでの蜜月出世物語、さらに田中真紀子との対決が国民目線から悪役としての鈴木宗男を形成しマスコミが作り上げた劇場型検察ファッショの狂乱に国民を巻き込んだのです。

実はこの国策捜査の目的それは小泉首相ポピュリズムではなく日本という国家体制のパラダイム転換を国民に告げる号砲だったのです。

新たな国策とは、
内政ではケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線(大企業、金持ち、既得権益者の一人勝ち)外交では地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズム(米国追従、似非極右への傾斜、体制翼賛)というものでした。

鈴木宗男氏は内政では地方の声を中央に反映させる公平分配路線を外交ではアメリカ、ロシア、中国とバランスのとれた関係を発展させようとし努力した政治家で、いうなればパラダイム転換前のニ要素を持った象徴的政治家でした。

彼を国策捜査のターゲットとしたことで失われた10年憤懣やるかたない情緒的国民の怒りを昇華させパラダイム転換が容易になったのです。

あれから10年、国家体制のパラダイム転換というシナリオは功を奏しました。
あの戦争でハイエク型傾斜配分路線と排外主義的ナショナリズムの両立を追求し日本を敗戦に陥れながらも戦犯を逃れ私財を蓄えた高級官僚その直系がいまや首相なのです。

『暴力の人類史』-書評

 西欧を主軸とした暴力(殺人を除く殺し合い)の歴史とその分析から人類の精神発展史ともいうべき論理を展開しています。

歴史学者をはじめとする暴力に関する膨大な資料を精査分類して古今東西の哲学から認知科学進化心理学までの知見を駆使し分析したその結果・・・。
人類の歴史における暴力はその件数も死亡者数も時系列的に減少しているとしています。

戦争をはじめとする集団的暴力では死亡した軍人など当事者のみならず紛争に巻き込まれた部外者など暴力に起因する死亡者数を推測する困難さは計り知れぬものがあります。
死亡者数の推測にあたり著者は過去のデータをその作成時期や特殊性からカテゴライズし分析手法として用いる対数やべき乗則などその根拠を示し統計解析の結果を明快な図表にまとめて暴力の減少現象を見せてくれます。

このようなデータ分析以上に素晴らしいのは認知科学者としてその手腕を披露した、暴力の原因としての「内なる悪魔」とその悪魔に打ち勝ってきた「善なる天使」の分析過程(これが暴力の人類史)です。

「善なる天使」とは共感、自制、道徳、理性。
「内なる悪魔」とはプレデーション、ドミナンス、リベンジ、サディズムイデオロギー

イデオロギーがなぜに「内なる悪魔」なのかはご一読を。

『第二次世界大戦 影の主役―勝利を実現した革新者たち』-書評

逆説的ではあるが本書はポール・ケネディによる日・独の第二次世界大戦「失敗の本質」論とも言うべき傑作である。

当代きっての歴史学者ポール・ケネディは戦史や軍事行動、指導者に的を絞るのではなく「いかに制空権を勝ち取ったか」、「いかに電撃戦を食い止めたか」など戦局の流れを変えた5つの事象を抽出した。そこから戦局転換の解決策や解決策を編み出した人々を描くことで第二次大戦の陰の主役を描き出した。その結果わかったことはたった一つの驚異的兵器が戦闘の流れを変えることはなかったということで、勝つための要件は兵器だけでなく戦争に勝つための体系―新機軸を用いるという奨励の文化と軍種合同の調和的統合組織―を創り上げた組織であった、との結論にいたる。

全5章のうち4章はドイツ軍の話だが日本軍に関する一章「いかに距離の暴威を打ち負かしたか」は目から鱗。その要点は以下の通り。
ミッドウエィの戦い後に大本営はハワイ攻略をあきらめたとおぼしかったのは驚くべきことだ。その時点では太平洋の米軍兵力はまだ弱体でありハワイ諸島の戦略的重要性に比べればニューギニアビルマを奪うことなどたいした意味がない。緒戦で日本軍は太平洋全体の戦略的拠点をほとんど攻略していたからいずれ手に入るはずであった。しかし第二の戦域―ビルマ、中国南部―に進出し本当に重要な攻撃目標に注意を払わなかった。
大本営は第二次大戦が地政学的チェスということを理解していなかったのである。

歴史に「もし」は禁物というが、もし大本営ハワイ諸島を手に入れ米国本土攻撃への前線基地となしもって距離の暴威(日本軍の致命傷となった兵站線)を克服することに目的を定め、もし真珠湾攻撃が海陸両用作戦であったならば米太平洋艦隊の打撃は甚大で態勢立て直しには多大の時間を要したであろう。そして情緒と空気が支配する日本軍は第二の戦域展開は後回し一気呵成に対米戦に集中し活路を得ていた可能性も・・・。しかし問題の本質は大本営が戦いの目的と地理(地政学)そして人(新機軸を奨励する文化)を理解していなかったことで所詮勝ち目はなかったであろう。

仮想敵国はどこか?

政府が来年度予算案に計上するという「長距離巡航ミサイル導入」が話題になっています。
長距離巡航ミサイルが防衛のみでなく攻撃目的にも供される可能性があり、憲法と政府方針との齟齬が危惧されるからでしょう。

当然ながら政府方針に対しては賛否両論があります。
政府方針への賛同派、懐疑派のマスコミ意見と世論です。
(賛同派)12月13日産経新聞「主張」欄。政府は、ミサイル発射が確実であり、他の手段がなければ、敵ミサイル基地への攻撃は合憲であるとの立場だ。「座して死を待つ」のは、憲法が認める自衛の趣旨に反するからだ。射程約900キロなら、日本海の上空から北朝鮮国内を攻撃できる。
(懐疑派)12月5日付朝日新聞。政府は、航空自衛隊の戦闘機に長距離巡航ミサイルを搭載するための調査費を2018年度当初予算案に計上する方針を固めた。有事の際に敵艦船などを攻撃するためとしている。ただ射程が長いため「敵基地攻撃能力」としての転用も可能で、専守防衛を堅持する政府方針との整合性が問われそうだ。

(世論)産経新聞とFNNが12月16日、17日に合同で実施した世論調査の結果では導入に前向き68.5パーセント、必要ない28.7パーセントとなっています。

専守防衛は基本姿勢だが「守」のため時には「攻」が必要だという情緒的な国民感情のあらわれでしょうか。このような空気を読んで安倍一強の国家社会主義(偽装民主国家)議会はこのまま予算方針を可決し長距離巡航ミサイルは導入されるのでしょう。

そこで問題の本質です。
長距離巡航ミサイル導入の意味するところは「守」から「攻」への国家軍備システムの思想転換であるということです。
では「攻」の対象になる敵ミサイル基地とはどこか、つまり仮想敵国はどこなのか。
中国かそれともアメリカか、ところがどうも政府もマスコミも北朝鮮を仮想敵国と考えているようです。
北朝鮮が仮想敵国などという刹那的で視野の狭い了見で一国の軍備システムの転換が安易に実施されていいものでしょうか。具体的な仮想敵国のない軍備システムなど画餅でまったく無意味です。それどころか地政学的に日本を仮想敵国とする国を生み出しかねません。

日本が仮想敵国を想定できないのは国家ビジョンがないから国家戦略もなく、したがい戦略完遂上でバリアーとなる仮想敵国も特定できないということでしょう。

大東亜戦争では陸・海軍それぞれの仮想敵国が異なるまま戦線を拡大し戦史上まれにみる大敗を喫して無条件降伏しました。
陸軍のソ連か海軍のアメリカか仮想敵国の一本化ができないままでは戦争の基本戦略が立てられません。あったのは主観と独善に基づく先見性も整合性もない無謀な戦術の繰り返しでした。

国家戦略がないまま仮想敵国も想定(あっても志がない)できず明確な戦略なき軍備の増強。また同じ過ちを繰り返しているような気がしてなりません。

ましてやトランプ大統領に忖度した米国兵器の購入だとしたらまったくお話になりません。
いまやることは憲法と政府方針の整合性(国家ビジョン)を包括したうえで腰を据えて国家戦略を立案することではないでしょうか。

12月8日に考える。

 12月8日に考えること。

それは、
なぜ戦争は始まったのか?
分岐点はいつだったのか?
なぜ戦争に敗れたのか?
である。

敗戦直後の1945年11月、わが国は戦争への道を自らの手で検証しようと国家的プロジェクトを立ち上げた。
それが戦争調査会だった。
幣原喜重郎内閣において幣原自らが総裁に就き、長官には庶民金庫理事長の青木得三、各部会の部長には斎藤隆夫、飯村穣、山室宗文、馬場恒吾八木秀次を任命し、委員・職員は100名ほどという、文字通りの国家プロジェクトだった。

多数の戦犯逮捕、公文書焼却など困難をきわめるなかおこなわれた40回超の会議、インタビュー、そして資料収集。
ところが調査会メンバーに旧帝国軍人がいることをソ連が問題化した。調査結果を利用して次は勝利の戦争へと日本を誘導することを危惧したのだ。戦争調査会として目的を達するために軍人を参加させてこそ趣旨に沿うものであることは自明の理であった。そこで占領下における連合国のメンバー米ソ中英で議論が交わされた。最後は日本の精神的独立よりも国際的協調策を選択した米国がソ連に同調した。マッカーサーは戦争調査会の廃止を命じた。
1946年3月の第一回総会からわずか半年後に戦争調査会は調査の経緯も結論も集約することなく静かに幕を閉じたのである。
その時に集められた関係者への事情聴取と資料は、公文書館などの書庫で眠り続けていた。しかし昨年、
『戦争調査会事務局書類』として公開された。
12月8日にやるべきことはこの文書を読み解き引き継いで調査をまとめて結論を導き出すことではないか。