bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

問題は成長でなく成長主義にある。

私はアベノミクスの根拠なき2%成長論に愛想をつかして、「それでも経済成長は必要か」「経済成長主義の終焉」をブログに書いてきた。

繰り返しになりますが、成長そのものに問題はなく「成長主義」にこそ問題があることを指摘したいと思います。

敗戦の惨状から奇跡的な経済復興を成し遂げ先進国入りした輝かしい成功の体験。その大きな要因は確かに経済成長力でした。しかし経済成長は国家復興のための一手段であったはず、それがいつの間にか成長し続けなければいけないという思い込みが国民のあいだに醸成され成長そのものが、国家挙げての普遍的価値観を形成しその結果として成長こそが絶対であるという成長神話を作り上げたものと考察しています。

そして成長神話は国家の至上命題にまで変異してしまったと思えます。具体的には経済成長なるものを、国民の幸せを達成する手段ではなく最終目的とする「成長主義」なるものを生み出してしまったことであると考えます。(手段の目的化)

「もはや戦後ではない」の掛け声はやがて成長至上主義の経済体制を構築して私たちはクタクタになりながらも不必要な過剰消費のトレッドミルを長いこと回し続けてきました。その結果が、成長主義の美名のもと政治的矛盾の糊塗・偽善・自己保身・権力欲が蔓延する成長無罪の文化を生み出し、今やアジアの涯の洋上にポカリと浮かぶ日本という魂なき国家になってしまったのではないでしょうか。

 

そもそも経済とは経世済民つまり世の中をよく治めて人々を苦しみから救うことをいうものですすなわちより良い社会と庶民の幸せに資するのが本質であります。

換言すれば人々が必要とするモノやサービスが安定して生産・提供され、そのようなモノやサービスに人々が自由にアクセスでき、所得がどのように配分されているかといったことが経済の目指すべき指標であると考えます。つまり経済の本義とは、資本の回転価値=成長率ではなく、社会の公益と国民生活を維持・向上させる=資本の使用価値にあると思います。