bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

経済成長主義を叱る

敗戦によって焦土と化した惨状から一躍奇跡的な復興を遂げた日本。その要因は、国民が国家再建に向かって一致団結して取り組んだ経済の立て直しが大なるものでした。みごと立ち直った新生日本、その発展戦略とは戦前の領土拡大主義から経済力強化へと転換するものでした。経済の拡大方策は、経済の発展度合つまり経済成長率という概念を日本人の誇るべき国家発展のバロメーターにすることでした。急成長する経済力を背景に意気飛揚して止まぬ政府・国民は、成長し続けなければいけないとする使命感を国内に醸成・充満させ、勤勉な国民性をもってして倫理観念と化し成長神話を作り上げていきました。「もはや戦後ではない」の掛け声は成長神話を確たるものとし「成長至上主義」の経済体制を構築しました。国民はクタクタになりながらも不必要な過剰消費のトレッドミルを長いこと回し続け高度経済成長を支えました。しかし成長神話の自縄自縛は終にはバブルを自生する結果となり果てたのです。私は経済成長そのものを否定するつもりはありません。しかし経済成長を「主義」すなわち「政府や国民の基本的行動指針」と祭り上げる「成長至上主義」は誤りです。その理由として、経済成長の指標である経済成長率とGDPそれぞれの定義に触れ私見を述べます。経済成長率とは、一国のGDPを基準に年度比較をしてその増減率を算出するもので、GDPの増加率が経済成長率とされます。GDPとは、一定期間内に国内で生産された財とサービスの付加価値の合計額を示すものです。

私は、この数値は国の経済規模を表す指標ではあっても国や国民生活の健全性を示すものとは必ずしもいえないと思います。経済とは経世済民(世を経め民を済う)であり国民の生活に資するべきものです。しかしGDPの概念は、生活にプラスとなる場合のみならずマイナスの影響を与える場合でも数値が加算される清濁併せ吞むものです。例えば自然災害により道路や家などが破損した時に発生する災害復興工事の費用などです。復興に費やされる財とサービスは新たな経済的付加価値をもたらすものですが、被災者や被災地の経済的・精神的な犠牲を代償にして成り立つ経済効果の数値です。また森林を伐採してゴルフ場を作ると土木工事などの経済的付加価値は創出されますが、一方では自然破壊が進み生物多様性を喪失していきます。「見える化」される物量の増加価値よりも持続可能な環境の維持や安心・平和といった「数値化できない」質的な価値、それを幸福度の指標として多くの国民が重視しつつあると私は考えます。本来は、国民の幸せを実現するツールの一つに過ぎない経済です、その成長を国家命題とする「成長至上主義」は、手段を目的化した本末転倒の政治手法に他ならないと考えます。年ごとに成長を追求する成長至上主義がもたらしたものは、大局観・長期的視野を軽視した刹那的な機会主義、政治的矛盾の糊塗・偽善・自己保身・権力欲が蔓延し「成長無罪」という社会的退廃思潮と国民精神の衰退、中空に漂うだけの魂なき日本という国家だと思います。