bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

法治国家と義務教育

カナダに住む娘が一時帰国をすることになりました。娘はこの機会に長女を日本の小学校に体験入学させようと計画しました。二人とも日本とカナダの二重国籍を持っています。そこで事前にカナダから日本の小学校に連絡を取り必要な書類など準備万端整えて二人は日本に着きました。

 

小学校を訪ね校長先生に書類を提出し「これで大丈夫ですよ」のお言葉をいただき娘がホッとした途端「ところで入学式は出席できません。また教科書は有償になります」と言われました。

 

義務教育なのに何故そのような待遇になるのかを娘が聞くと、体験入学(試験入学ともいうらしい)ですから入学にはならないとの回答でした。

 

意味不明の説明に納得できないと反論すると「教育委員会が決めている事ですから私には何もできないのです」とのお話しでした。そこで娘は教育委員会に問い合わせました。回答は「学籍がない場合は入学式には出席できず教科書も無償にはならない」との回答でした。

 

学籍とは何か、娘が辞書などで調べたところ以下のような説明がありました。

(学生や生徒としてその学校に所属することを示す籍。)

(児童・生徒・学生として、その学校に登録されている籍。)

 

この意味は何かと娘は私に聞いてきました。

そこで、いま迄の経緯を聞いて私なりに調べてみました。しかし何とも理解はできませんわかりません。

 

やむなく文科省に電話をしてたらい回しの末に初等中等教育局教科書課から回答を得ました。辞書と変わらぬ説明で最後には当該校を管轄する「教育委員会に相談してください」の繰り返しで終わりました。

 

結果を娘に話したら校長先生に話してみると校長先生にお会いしてすべての経緯を話したところ「前例がない事は誰もやりたくないのです。この様な疑問をこれからも多くの方から教育委員会にぶつけて欲しいと願っております。」との苦渋に満ちたお話だったようです。

 

やむなく始業式はあきらめて教科書代を支払った娘は始業式翌日からその子の手を引き小学校に向かいました。

 

それから一週間が過ぎた昨晩、私は田舎で地元の弁護士さんや行政書士さんと夕食を共にしました。ちょうどいい機会なので、この件について意見を伺ったところ皆さんが異口同音に「法律の運用上の問題だよ」とのこと。

 

教育委員会により教科書は無償とし、また始業式に参加させているところは幾例もあるとのことで、ある方はウェブ上に父兄が投稿した実例を見せてくれました。

 

法律とは国民の目的ではなく国民を幸せにするための手段に過ぎません。こんなことを認識した行政人の存在それが法治国家の原点だろうと思いました。

 

二・二六に思う。

二・ニ六事件から83年目の2月26日がやってきました。

近ごろ思うのは、あの出来事は軍部独裁化への引き鉄や大東亜戦争への誘導要因ではなく、戦後日本の姿を方向づけた官僚性の原点だったのではないかということです。 

二・二六事件の本質とは、軍部クーデターを逆手に取った「天皇制官僚システム」の意図せざる「カウンター・クーデタ」ではなかったのだろうか?という疑問です。

戦前における日本の立憲君主制とは名ばかりで実態は天皇制国家でした。その仕組みは、天皇が為政者であるにもかかわらずその結果責任を曖昧にするという最終責任不在のシステムでありました。そして最終責任の分散による天皇すなわち「玉」イコール「國體」の担保機能を担っていたのが天皇制官僚システムだと思います。

天皇主権とはタテマエにすぎず、重要な国家判断や決定は、支配層内部における相互の寄りかかり現象から醸成され、天皇制官僚組織その頂点に立つ長老の管理のもと内閣は組織され、内閣の決議について天皇はコメントをしても決定を追認するだけというのが実態であったと思われます。そこで官僚は軍部と政財界にすり寄り、権力への従順さを装い彼らの判断過程に参与していき、やがて天皇の御名のもと中立性を纏った支配機能を隠然として確立していったものと推測されます。

言うなれば戦前の権力機構は顕教(タテマエ)としての軍隊と密教(ホンネ)としての天皇制官僚システムがメビウスの輪のごとく双方が補強しあって國體の幻想を創りだし、國體という名の幻想共同体の構築を担っていたのではないでしょうか。

ここで誤解を恐れず二・ニ六事件の背景を要約すると、第一次大戦の経験から国家総力戦を唱える陸軍エリート、その指導のもと財界と結託して満州から北支へと戦線拡大を図ったのが統制派(建軍の本義)です。いっぽう疲弊した兵と昼夜を共にする隊付き青年将校たちは国民に塗炭の痛苦を強いて私欲に奔走する政財界の横暴を排除し、天皇御自らの統帥のもと内政と国力の充実を図るべきであるとして戦線拡大に異議を呈し昭和維新を唱えました。これが皇道派(國體の本義)です。

(注)当事者は統制派、皇道派などと名乗っておらず、この名称は事件後に使われたに過ぎません。

 

両派の論争が激化するさなか皇道派の中心的な存在であった青年将校たちに満州への配属が通知されたのです。満州に送られては昭和維新の夢はおしまいです。そこで青年将校たちは満州出兵直前に決起して天皇への直訴による局面転回を目論みました。

 

しかしクーデタは失敗に終わりました。軍部は内部抗争の醜態を衆目に晒したのです。そして軍部は天皇制官僚システムの掌中に取り込まれていったのです。つまり暴力装置として機能させるべく軍部を天皇制官僚システムに組み込むことで腕力なき官僚の脆弱性を補完したのです。さらに報道機関を取り込んで不敗神話と戦時経済による貧困脱却という大本営ポピュリズムを打ち立てました。このポピュリズムに踊らされた国民の声援をバックに彼らは満洲支配を完遂し、アヘン密売で蓄財を図り満鉄や満映を次々と成功させていきました。

ところが、担いだ神輿には国家の大計も戦争戦略もなく無謀な戦術を繰り返しあえなく敗戦となりました。

昭和天皇はニ・二六から人(というより現人神)が変わってしまったようです。「などてすめろぎは人間となりたまひしか」と三島由紀夫が嘆いたごとく二・二六のご聖断は現人神ではなく感情に身を委ねたただの人間の結果でした。これ以降、昭和天皇はヒトとして天皇制官僚システムに鎮座するだけのお神輿になってしまったのです。

 

敗戦後の日本を統治したのはGHQでした。カミカゼ沖縄戦で軍民一体の徹底抗戦をした日本民族を円滑に統治する最善の手法として彼らは国民の狂信的な支持を得ていた現人神、天皇を統治のツールとして利用することにしました。そこでGHQ天皇の戦争責任を追求する連合国を説得するため天皇の身代わりとして陸軍を悪者にして天皇を平和主義者にすり替えて東京裁判を乗り切り日本国民の歓心をも得ることに成功したのです。このシナリオは天皇制官僚システムとGHQの合作によるものでした。

ポツダム宣言を受諾するにあたって昭和天皇は国体護持を無条件降伏の取り引き条件としていました。そのご意向を実現することが即ち自身の保身となった天皇制官僚はGHQと協力して見事なお話を作り上げたのです。ここに天皇制官僚システムはGHQ官僚システムに移行したのでした。

 

やがてGHQ支配が終わり独立国家となると天皇制官僚システムを支えながら戦犯訴追を逃れた革新官僚が日本の首班となりました。そして日米安保条約の改定による地位向上という虚妄のナショナリズムを掲げ果てしなき対米追従の道をたどり今日に至りました。その孫は米国大統領の就任前にもかかわらず米国に馳せ参じてオトモダチ一番乗りとはしゃぎ回る有様です。モリカケ官僚への過分な配慮をみるにつけ神輿は軽いほど担ぎやすいとはよく言ったものだと思います。こんな首班を手玉にとりこの国を陰で主導しているのは戦前の天皇に代わり米国という「玉」を背景にしたGHQ官僚システムではないでしょうか。

敗戦後、為政者は幾多変われど国策とするのは異口同音に日米同盟の強化です。その同盟の根幹をなすのは日米安保条約であり安保法体系は国内法の上位法であり(砂川裁判の最高裁判決)また日米合同委員会の日本側代表は外務省北米局長です。言うまでもなく官僚が下位の法体系より上位の法体系に従うのは当然です。GHQ官僚システムよ永遠なれです。良くも悪くも官僚あっての日本国。その遠因は二・二六にあるのかもしれません。
 

堺屋太一さんの思い出

堺屋太一さんが先日亡くなられました。

北方四島の問題。

ソ連(ロシア)による日ソ中立条約の一方的破棄と北方領土問題をを短絡的に因果関連づける。

これがおおかたの日本人の心情ではないでしょうか。

しかし私は次の様な理由から別個の課題であると思います。

1.中立条約について。

中立条約を無視したソ連(ロシア)の行為は道義的には非難されて然るべきでしょう。

しかし世界の歴史を顧みると、戦争という超法規的行為に入るや中立や不可侵条約は無条件でご破算となり勝者の論理が道理を押しのけているのではないでしょうか。

いずれにせよこの中立条約問題は日本とロシア二国間で締結した条約の問題で条約の履行放棄については両国間で解決すべき問題です。

2.北方領土について。

日本は1951年9月8日、サンフランシスコ平和条約で千島列島を放棄しています。

この条約にロシアは署名しなかったものの連合国48か国との間で締結された多国間の国際条約であり、国際社会への日本の復帰が承諾されたものです。

サンフランシスコ平和条約第二条C項

(c) Japan renounces all right, title and claim to the Kurile Islands, and to that portion of Sakhalin and the islands adjacent to it over which Japan acquired sovereignty as a consequence of the Treaty of Portsmouth of 5 September 1905. 日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。

3. ここでの問題は2つあります。

①放棄した千島列島の帰属先が記載されておらずその後も取り決めがなされて

いないことです。

②千島列島には四島は除外されているのか、それとも国後島択捉島は含まれるのか。

 

まず②の件について。

日本政府は国会において、サンフランシスコ平和条約第二条C項で放棄した千島列島に国後島択捉島が入っていることを明確にしています。

*1951年10月19日の衆議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会において、農民協同党の高倉定助議員(委員)の質疑に対して、吉田総理(国務大臣)と外務省の西村熊雄条約局長(政府委員)が答弁を行っています。議事録の詳細は「日ソ国交回復秘録」朝日選書 2012年刊(松本俊一:著、 佐藤優:解説)の257~262ページに再録されています。

①の件について。

サンフランシスコ平和条約に調印しなかったロシアとの間で国交の回復を図るべく日本1955年6月からロシアと交渉を開始し幾多の変遷を経てたどり着いたのが1956年12月12日批准の「日ソ共同宣言」です。

千島列島の帰属に関する条項9は以下のように記述されています。  

 

 9. 日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は,両国間に正常な外交関係が回復さ

   れた後,平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。

   ソヴィエト社会主義共和国連邦は,日本国の要請にこたえかつ日本国の利益を考  

   慮して,歯舞諸島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし,これ

   らの諸島は,日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結さ

   れた後に現実に引き渡されるものとする。

 

4.上記から私は次のように推測するに至っています。

 ・千島列島の帰属先はロシアである。

 ・千島列島とはどの島のことか。

   日本側の見解:歯舞、色丹

   ロシア側の見解:歯舞、色丹、国後、択捉

 

 

 

 

北方四島について。

北方領土問題について大前研一氏の気になる論説を目にいたしました。 

 
「北方4島について、日本政府はずっと国民を騙している」というものです。
 
要約しますと、以下のようなものです。 
・日本敗戦後にソ連(今のロシア)が北海道の分割を要求した。
・そこで、アメリカはソ連北方領土を領有することを認めた。
・その後の日ソ間交渉で、日本は二島の返還を前提にソ連と友好条約を締結したいと
アメリカに告げた。
・しかし、アメリカは四島の返還をソ連に要求しない限り沖縄は返還しないと突き放した。
・これが日本政府の四島返還論の背景で、政府はずっと国民に嘘をついてきたという。
 *1


この論説を裏付けるような元外務省職員、佐藤 優氏の記事もあります。
 ・2016年末ロシアのプーチン大統領が来日し安倍首相と面談しましたが、
  この話を プーチン大統領は知っていたというものです。
週刊現代2017年1月14.21日号)
 アメリカの影をかなり具体的に指摘していますので以下に引用します。

*2
 
いっぽう日本政府は北方領土問題に関する見解を外務省HPのQ&Aで示しています。
しかし、精読してみますと、全体像が把握できずすっきりしないものを感じます。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/mondai_qa.html#q1
 
どうやら北方領土問題は日本とロシア二国間のみの問題ではなさそうです。
 
*添付の二つの引用文はいずれも長文ですが、本件にご興味を持たれましたら
  是非お読みいただければと思います。
 
 ここで長文をあえて添付しましたのは、次のような考えからです。
 歴史について語るとき、文脈がない事件や資料の羅列では読者に対してまた読者にとっても
 意味(現時点で過去を振り返り将来展望への一助とする)をなさないのではないかと思います。
 なぜなら、歴史は人の集合活動の結果または進行形であり、AIがいくら進化しようとも
 人の手を介さずに意味づけできるとは思えないからです。
 そのため筆者のフィルターやバイアスがかかったものとなることはやむを得ないものと
 思っています。

 

*1:大前氏論考の引用:

終戦時にソ連と米国の間で交わされた電報のやり取りが残っています。

ソ連スターリンが北海道の北半分を求めたのに対して、米国側は反発。

代わりに北方4島などをソ連が領有することを認めました。

 

この詳細は拙著「ロシア・ショック」の中でも紹介していますが、長谷川毅氏の「暗闘」という本に書かれています。

米国の図書館などにある精密な情報を研究した本で、先ほどの電報などをもとに当時の真実を見事に浮かび上がらせています。

 

すなわち、北海道の分割を嫌い、北方4島をソ連に渡したのは米国なのです。

今でもロシア(ソ連)を悪者のように糾弾する人もいますが、犯人は米国ですからロシアを非難すること自体がお門違いです。

 

さらに言えば、日本が「北方4島の返還を前提」に固執するようになったのも、米国に原因があります。

1956年鳩山内閣の頃、重光外相がダレス国務長官と会合した際、日本はソ連に対して「2島の返還を前提」に友好条約を締結したいと告げました。

しかし、ダレス国務長官がこれを受け入れず、「(ソ連に対して)4島の返還」を求めない限り、沖縄を返還しないと条件を突きつけました。

 

つまり、米国は沖縄の返還を条件にしつつ、日本とソ連を仲違いさせようとしたのでしょう。

この1956年以降、日本では「北方4島の返還」が前提になり、それなくしてロシア(ソ連)との平和条約の締結はない、という考え方が一般的になりました。

1956年までの戦後10年間においては「4島の返還」を絶対条件とする論調ではありませんでしたが、この時を境にして一気に変わりました。

 

プーチン大統領の提案に対して、マスコミも識者も随分と叩いているようですが、1956年以降日本の外務省を中心に政府がずっと国民に嘘をついてきた結果、真実を理解せずに批判している人がほとんどでしょう。

プーチン大統領の提案は理にかなっています。

日本政府の「嘘」を前提にするのではなく、とにかくまず平和条約を締結することから

始めようということです。

 

プーチン大統領の提案通り、まず平和条約を締結すれば、おそらく「2島の返還」はすぐに実現すると思います。

残りの2島については、折り合いがつくときに返還してもらう、というくらいで考えればいいでしょう。

相手がプーチン大統領であれば、このように事を運ぶことはできるでしょうが、別の人間になったら「1島」も返還されない可能性も大いにあります。

 

今、安倍首相は「とぼけた」態度を貫いています。

真実を理解しながらも、周りにはそれを知らず

理解していない人も多いでしょうし、長い間日本を支配してきた自民党が国民に嘘をついていたという事実をどう説明するか、など悩ましい状況にあるのだと思います。

 

安倍首相に期待したいのは、ロシアに対して経済協力などを続けながら、とにかくいち早くロシアとの平和条約を締結して欲しい、ということです。

それが実現できれば、安倍首相にとって最大のレガシーになると私は思います。

 

北方4島の全てが返還されなくても、それによってどれほどマスコミから叩かれても、安倍首相とプーチン大統領の間で、平和条約の締結を実現すべきです。

官房長官などは知ったかぶりをして、4島返還について日本政府の方針に変わりはないなどと発言していますが、全く気にする必要はありません。

 

プーチン大統領の「どちらの主権になるかは明記されていない」という発言は、日本に対する嫌がらせではなく、日米安保条約の対象になるか否かを見据えたものです。

返還された島の主権が日本になると、当然のことながら日米安保条約の対象になり、米軍基地が置かれる可能性が出てきます。

そうなるとロシア国民に納得してもらえませんから、プーチン大統領は困ります。

 

一方、北方4島は日米安保条約の「対象にならない」とすると、今度は米国が許容できないはずです。

中国との尖閣諸島問題では日米安保条約の対象として米国に庇護を求めていますから、北方4島は対象外というのは虫が良すぎるということになります。

 

ロシアと米国のどちらも納得できる理屈が必要です。

例えば、沖縄返還と同様に「民政」のみ返還し、「軍政」は返還しないという方法です。

この形であれば、米軍基地が置かれることはなくプーチン大統領も国民に説明できるでしょう。

ただ、現実的に島民のほとんどがロシア人なのに民政だけ返還されても、ほとんど意味がないという意見もあります。

いずれにせよ、北方4島の返還にあたっては、日米安保条約の対象にならないようなプロセスや理屈が絶対に必要になってくると思います。

 

プーチン大統領の次を誰が担うのかわかりませんが、仮にメドベージェフ氏が大統領になれば、2島返還ですら絶対に容認しないでしょう。

プーチン大統領が在任中にまず平和条約を締結することは、極めて重要だと私は思います。

 

というのも、中国がロシアに接近しつつあるので、ロシアにとって日本の必要性が低下し、このままだと日本にとってさらに厳しい状況になるからです。

東方経済フォーラムを見ていても、プーチン大統領と中国は明らかに接近したと私は感じました。

 

中国は巨大な人口を抱える東北三省の経済状況がよろしくありません。

その対策として、極東ロシアへの投資に向けて動いています。

中国とロシアの国境を流れる黒竜江アムール川)をまたいで、現在両国を結ぶ橋を建設しています。

中国側とロシア側でそれぞれ資金を出し合っていて、橋の建設には中国の技術が活用されています。

 

中国とロシア間の動きが活発化し、中国から極東ロシアへの投資が拡大すると、その貢献度はかなり大きなものになります。

 

日本も目を覚まさないと、全て中国に持っていかれてしまいます。

少なくともプーチン大統領は内心では親日派なので、今のうちに早く動くべきです。

最後にもう1度述べておきます。安倍首相には、

どんな批判を受けても悪役になろうとも、何が何でもロシアとの平和条約の締結を実現させて欲しい、と思います。 

引用終わり

*2:山口県長門市で12月15日に、東京で翌16日に行われた安倍晋三首相とロシアのウラジミール・プーチン大統領の首脳会談について、日本のマスコミの評価は厳しい。

北方領土問題で何も成果がなかった」「経済だけを食い逃げされた」というような酷評が多いが、それらは間違えていると筆者は考える。今回の日露首脳会談は大成功だった。

日本もロシアも、形式だけでなく、実質的に領土問題、経済協力を含む重要事項について交渉できる環境を整えるという目標を達成したからだ。

もっとも興味深いのは、16日の共同記者会見でプーチン大統領が、「われわれは、経済関係の確立にしか興味がなく、平和条約は二次的なものと考えている人がいれば、これは違うと断言したい。私の意見では、平和条約の締結が一番大事だ」と述べたことだ。

プーチン大統領は、1855年の日露通好条約で北方四島が日本領になったことにあえて言及することで、1956年の日ソ共同宣言でロシアは歯舞群島色丹島の日本への引き渡し義務を負っているにすぎないが、歴史的、道義的に日本が領有に固執する国後島択捉島について、何らかの譲歩を行う可能性を示唆している。

この方向で両首脳と両国の外務官僚が命がけで交渉すれば、3~5年後に歯舞群島色丹島が日本に返ってくる可能性がある。

 

さらにこの会見でプーチン大統領は、日ソ共同宣言の履行にあたっては、日本側は日米安保条約との関係で、ロシアの安全保障上の懸念を払拭する必要があることを「日本と米国の関係は特別です。日本と米国の間には安保条約が存在しており、日本は決められた責務を負っています。この日米関係はどうなるのか。私たちにはわかりません」と述べる形で示唆した。

具体的には歯舞群島色丹島を日本に引き渡した後、日米安保条約第5条を根拠に、米軍がこれらの島に展開することをロシアは安全保障上の懸念と考えているという意味だ。

この関連で過去の経緯についてプーチン大統領は「日ソ共同宣言に署名したとき、この地域に関心のある米国のダレス国務長官が日本を恫喝した。『日本が米国の国益に反することをすれば沖縄諸島全域は米国の領土になる』と」と述べた。

ここでプーチン大統領が述べた「ダレスの恫喝」については、1955~1956年に行われた日ソ国交回復交渉の際の日本側共同全権をつとめた松本俊一氏が、1966年に上梓した当事者手記『モスクワにかける虹』に記述がある。

北方領土交渉の基本文書であるにもかかわらず、初刷りのみで絶版になっていたので、2012年に筆者が長文の解説を附して『日ソ国交回復秘録』と改題して再刊した。

この本には、日本外務省が公開していない機密情報が多数含まれている。「ダレスの恫喝」もその1つだ。

1956年8月19日、重光葵外相はロンドンの米国大使館を訪れ、ダレス米国務長官歯舞群島色丹島を日本に引き渡し、国後島択捉島ソ連に帰属させるというソ連側から提示された領土問題に関する提案について説明した。

それに対し、ダレスは激しく反発した。

 

〈八月十九日に重光外相は米国大使館にダレス国務長官を訪問して、日ソ交渉の経過を説明した。その際、領土問題に関するソ連案を示して説明を加えた。ところが、ダレス長官は、千島列島をソ連に帰属せしめるということは、サン・フランシスコ条約でも決っていない。

したがって日本側がソ連案を受諾する場合は、日本はソ連に対しサン・フランシスコ条約以上のことを認めることとなる次第である。かかる場合は同条約第二十六条が作用して、米国も沖縄の併合を主張しうる地位にたつわけである。ソ連のいい分は全く理不尽であると思考する。

特にヤルタ協定を基礎とするソ連の立場は不可解であって、同協定についてはトルーマン前大統領がスターリンに対し明確に言明した通り、同協定に掲げられた事項はそれ自体なんらの決定を構成するものではない。

領土に関する事項は、平和条約をまって初めて決定されるものである。ヤルタ協定を決定とみなし、これを基礎として議論すべき筋合いのものではない。必要とあればこの点に関し、さらに米国政府の見解を明示することとしてもさしつかえないという趣旨のことを述べた。

重光外相はその日ホテルに帰ってくると、さっそく私を外相の寝室に呼び入れて、やや青ざめた顔をして、「ダレスは全くひどいことをいう。もし日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたなら、沖縄をアメリカの領土とするということをいった」といって、すこぶる興奮した顔つきで、私にダレスの主張を話してくれた〉

それ以前にも米国務省がワシントンの日本大使館に「日本がソ連案を受諾するならば、米国は沖縄を併合することができる地位に立つ」と伝達してきた経緯があるので、「ダレスの恫喝」は個人的発言ではなく、米国の国家意思に基づいたものだ。

ちなみに東郷和彦氏(京都産業大学客員教授)が筆者に述べたところによると、「ダレスの恫喝」に関する公電や書類は、外務省に存在しない。

東郷氏は、外務省のソ連課長、条約局長、欧州局長を歴任したので、北方領土交渉に関するすべての情報にアクセスすることができた。

筆者が現役外交官だったときに、「東郷さん、公電を誰かが湮滅したのでしょうか」と尋ねると東郷氏は「いや、北方領土交渉に関して重要記録を廃棄することは考えられない。あまりに機微に触れる内容なので、公電にしなかったのかもしれない。真相はわからない」と答えた。

「ダレスの恫喝」について証言する文書は、今のところ本書しかない。日本にとって唯一の同盟国である米国との関係を調整することが、北方領土問題を解決する不可欠の条件になる。

日本は衰退する。

 

ローマ共和制国家、マヤ都市国家ソビエト共産国家、名誉革命以降のイングランドなど輝かしき繁栄を歴史に刻んだ国が衰退した要因は何か。それは収奪的な政治制度(権威主義、独裁的)と収奪的な経済制度(高賦課税、中央指令型計画経済)である。
さらに為政者の論理性を無視した自己陶酔と膨張本能、反対派への粛清と報復である。

この国は今やすべての条件が揃ったのだ。

12月8日の神話

いまから77年前の1941年12月8日(現地時間12月7日)大日本帝国軍は真珠湾に奇襲攻撃をおこない太平洋戦争の幕を切って落としました。

この奇襲攻撃を巡ってはローズベルト大統領が当初から知っていたとするアメリカの陰謀説が広く日本国内に流布しています。

そこで陰謀が本当にあったのかと疑問を持ち関連する書籍をいくつか読んできました。

そのうちでも興味ある二冊の内容をご紹介させていただきます。

 

ところで昨年NHKが全国の18歳と19歳、1,200人を対象に行った世論調査によりますと、日本が終戦を迎えた日について、14%が「知らない」と答えました。

12月8日についても同様な認知度でしょう。

 

「歴史とは民族の愛おしい誇りと美しい誤解が織りなす神話ではないでしょうか。

 神話であればこそ後世に語り継いでいくことが必要ではないでしょうか」

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  • 『「開戦神話」 対米通告を遅らせたのは誰か』

著者は開戦当時小学5年生の井口武夫、外交官。父君は開戦当時の在米日本大使館ワシントン勤務の外交官でした。

フランクリン・ルーズベルト大統領(FDR)は真珠湾攻撃を事前に知っていたが何の行動も起こさず日本を悪者にして日米戦争に引きずり込んだという陰謀説があります。

この本ではFDR陰謀説に懐疑的な背景と開戦通告を遅延した日本の問題が指摘されています。 

FDRの日本挑発については、「アメリカ政府は日米開戦直前までドイツがヨーロッパを席巻しないかと憂慮していた。日本への危機は二次的な関心にすぎなかった。だからこそ経済制裁で日本を屈服させられると考え日本の不意打ちにあった」と記しています。 

ハル・ノート」については次のような説明がされています。

「日本の最終提案には、アメリカが全面的に受諾すべき最終期限が付せられており、それ以上交渉をつづけない明確な意思表示をしている点では、交渉期限を付していないハル・ノートよりも国際法上の最後通牒の性格に近い外交文書であった」

「しかし、ハル・ノートが出された結果、禁輸緩和の最終交渉に入れないまま戦争に突入したので、日本軍部の期限付きで独断的に交渉を打ち切ろうとした態度の是非が、戦後の日米交渉史の批判的検証から外され、ハル・ノートによる対日戦の意図的な挑発という日本軍部に都合の良い通説が定着した」

 

またFDR陰謀説の背景として以下の二点を挙げています。

アメリカ学会の修正主義史観

 英国を助けて独国を破るため苦肉の策としてFDRが日本に先制攻撃をさせ対独参戦の大義名分を得るため。

・英中陰謀説

 ヒトラーに対して敗北寸前のチャーチルと国民党内に対日宥和派が出現し狼狽する蒋介石が語らってルーズベルトを巻き込んで対日独戦に持ち込んだ。

 

いっぽう日本側には対米通告が遅れた問題があります。 

・外務省から在米大使館へ開戦日の朝に到着した電報の謎。

対米通告の発信が大本営、政府連絡会議で「12月7日午前4時」に完了されるべく決定があったにもかかわらず外務省からの発信は12月7日午後4時と12時間も遅れた理由が解明されない。

・親電押収事件。

 FDRが開戦直前、昭和天皇に戦争回避を訴えた親電が長時間陸軍に押収された。

 親電の解読工作こそが対米通告の発信を保留させられた問題に絡んでいる。

 12月7日正午に中央電信局に入った親電は参謀本部通信課の戸村盛雄少佐により10時 間差し押さえられた。親電が、日本を悪者として世界に宣伝して袋叩きにする謀略工作だと考え参謀本部作戦課の瀬島龍三少佐と協議した独断的な行動だった。

 

著者はアメリカのノンフィクション作家、クレイグ・ネルソン。

真珠湾」をめぐる日米の諸相を網羅しこれぞ真珠湾大全と謳う800ページの大著です。

この本では想定外を想定する指摘がいくつかありますのでご紹介します。

 

・ロンドン・ディリー・テレグラフ紙の海軍特派員、ヘクター・C・バイウオーターが1925年「The Great Pacific War」という仮想戦記を上梓しました。

これをニューヨーク・タイムズ・ブック・レビューが第一面で取り上げ同紙は「もし太平洋戦争が起きたら」という見出しを掲げた。

この小説には真珠湾アメリカ艦隊が日本によって奇襲攻撃される場面が描かれており、そのさい日本側はグアム島フィリピン諸島のリンガエン湾とラモン湾同時攻撃するとしている。

なんと同書が出版された時期に、山本五十六が海軍から派遣されて駐米日本大使館に勤務していたのです。

 

・1938年1月10日、エドワード・マーカム大佐は米陸軍省のためハワイの軍事力に関する調査を行い次のような結論に達しました。

日本との戦争はある日突然、なんの前触れもなく起きるだろう。歴史の最も明白かつ最も重要な教訓は・・・(中略)その統治形態ゆえに日本の陸海軍は危機が迫った場合、文民統制から独立した形で陸海軍関連の作戦を開始・遂行できる・・・(中略)もし仮に合衆国と日本国とのあいだで敵意が高まった場合、ハワイ諸島が真っ先にその行動の対象となることに疑問の余地はなく、日本はこれら諸島に対する強力かつ決然たる攻撃を、その利用可能な人力および資源をもって実施するであろう。

 

・つぎにあげるのは日本でもよく知られている話です。

1941年1月半ばペルーの駐日大使、リカルド・リヴィエラ・シュライバーはアメリカ大使館を訪れて次のように述べた。「合衆国との間で問題が生じた場合、日本の軍部はそのもてる軍事的装備をすべて用いて、真珠湾に大規模な奇襲攻撃を敢行すべく計画中と、数多くの情報源から聞いたので一応伝えておく」

グル―駐日大使は1月27日、意外な新事実として国務省に伝達した。

 

著者曰く、「後世の人間はこういう話を聞くと、どうしてハワイの軍幹部は12月7日以前にいかなる脅威も感じなかったのかと不思議な気分になる。まさにこれこそが真珠湾以前におけるアメリカの一般的空気だった。」

 

真珠湾をめぐる最大のミステリーが運命の日直前の12月5日に起きています。

 南雲艦隊が12月5日に外国船と遭遇した。

それはソ連トロール漁船「ウリツキ―号」でオレゴン州ポートランドウラジオストクの間を行き来していた。

南雲はなぜこの漁船を撃沈しなかったのか?

同漁船は南雲艦隊を見たことをどこかに報告していたのか?

それならなぜモスクワはワシントンに告げなかったのか?

 

・そして対日戦の大勢が決したアメリカでは真珠湾の総括をおこなうべく10人の連邦議   員(民主党6人、共和党4)からなる上下両院合同真珠湾攻撃調査委員会を立ち上げま   した。

 1944年7月20日から10月20日にかけて151人の目撃者から証言を聴取した9,754ページの調書、証拠物件469件からなる報告書をまとめて1946年7月16日、FDR陰謀説に対しては次のように最終報告をしています。

 

ローズヴェルト大統領、ハル国務長官、スティムソン陸軍長官、マーシャル陸軍参謀総長、スターク海軍作戦部長、ノックス海軍長官が「米国を攻撃させようとして日本を騙し、挑発し、扇動し、甘言を弄し、強要した」証拠はない。