まず「日本をこういう国にしたい」というテーマは国家のあるべき姿すなわち理想像を語ることと私は理解します。
その前提として、そもそも国家は自主独立した主権を持つ国家でなくてはなりません。
ところが日本の現状は首都の制空権さえままならぬ国家主権なき擬制国であると私は思い続けています。
その主たる理由は次の三点です。
この三つの軛を断ち切らないかぎり、永遠に日本は自主独立国家にはなり得ないと思います。
真の独立国家でない虚妄の国家を対象にして理想像をいくら語っても所詮は砂上の楼閣ではないでしょうか。
そこで私は切に思いかつ望みます。
「日本をまごうことなき真の自主独立国家にしたい」と。
軛がなくなればそれでよかった終わりではなく、束縛から解放されると同時に自主独立国家のスタートを切ることになります。
ということは、軛を解く工作をしながら一本立ちする新国家の理想像を作っていかなければなりません。
その為に何をなすべきでしょうか。私は国民国家の思想構築そして理念への昇華だと思います。
為政者が「美しい日本」と国家理念のごとく語る時、国民はその姿を具体的にイメージできるでしょうか。
私には無理です、イメージできるという人に聞いてみるとその具体像は各人各様です。
「美しい」とか「幸せ」や「安全」など観念的な美辞麗句はすんなりと人の心に受容されます。
しかしこのような言葉を羅列し組み合わせや編集を試みても国家像を創造することはできないと思います。
人それぞれ抽象的な概念については具体的に意図するものが異なり一致することなどは稀だからです。
たとえば「幸せ」とは問われ裕福さであるとする人、家族の健康と答える人など、差異の根源には個人の価値観が存在しています。
いささか一足飛びで乱暴ですが国民の異なる価値観ですが、その最大公約数を集約し国民の手で統合した国家の思想を作れないかと考えています。
理由は世界各国民の価値観を反映した公約数的な普遍性が三つの潮流には存在していると考えるからです。
これを糸口にして私はあるべき独立国家の思想と理念を考えていくつもりです。
さてここまでは国家の理念論ですが、並列してもう一つ重要なものは国家の組織論です。
(人間と同様に頭脳と肉体の両輪で国家は運営、生存していけるものと思っています)
具体的には国家の構成要員たる国民のコミュニティです。
若者たちは現実の国家ではなくアマゾンやグーグル帝国に殉じかねない昨今の様相であります。
バーチャルな組織はコミュニティの意識ならず存在をも規定するかの如き状況に思えます。
このコミュニティの考察も並行してやっていかないと国家の具体的な理想像は描けないでしょう。
しかしながら凡凡たる脳みそは枯渇寸前で風呂敷を広げてみただけで終わるのかなぁと...
積年の宿題にいまだ回答も出せぬ怠惰な思考力に忸怩たる思いひとしきりです。