bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

大阪都構想の本質的問題

まず一番の問題は、政治というものが政治家と既得権益層が主体のものになっていることです。
つまり主権在民憲法ではうたいながら、肝心の国民という主語なき政治が横行しているということです。
大阪都構想大阪市民からの発案ではなく政治家を騙る詐欺師の構想だと最初から見え透いていました。

政治家の多くは、国民がコロナで苦しんでいようが意に介さずましてや民意などには関係なく(選挙で民意の多数をえたのだから)
自己利益の達成を優先的な判断基準として政治的な実行に移します。
選挙で多数の民意を得れば主権はその時点から国民より政治家に移転してしまいます。
悲しいけれどもこれが日本の実情だと思います。

バブル崩壊から日本は着実に国家資本主義体制に向かっている。
とくに郵政民営化に始まる規制改革という美名の政策は
これまたグローバル化という美名の新自由主義と連携して、
戦後築き上げた平等化社会(国民の90%が中流意識を持つ)を破壊してきました。
ヒトラーユーゲント同様、正義の平等が等分されて不正義に展開した典型でしょう。
その結果は政府と結託した既得権益層に膨大なレントをもたらし、いっぽう
大衆消費社会を支えた中間層は解体されて持てる者と持たざる者とに二極化されました。
分厚い中間層は消滅に向かい、これで国家の経済運営の効率を高める下ごしらえはできました。
国家資本主義を推進するには不可欠な収奪層と非収奪層が形成されました。
死後まで残るマイナンバーで徴税と徴兵のデータ基盤もできてます。
そこで菅は持てる者には公助、持たざる者は自助・・・宣言をしました。
しかし、これだけでは経済が上向くわけでなく国庫が潤うこともない。
そこで次は地方のお荷物の切り捨てに移る。
そのためには地方の統治権をできるだけ容易にかつ穏便に掌中にする必要がある。
ここに目を付け、刈り取りやすい地方自治体のモデル組成を企んだのが橋本という人だと思います。
やくざチックな菅首相とパシリ政治屋の敗者復活戦、そこにコバンザメ公明党が乗ったということかと思っています。