bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

『「持たざる国」への道 - 「あの戦争」と大日本帝国の破綻』

あの戦争はー英米ブロック経済により困窮化した「持たざる国」日本が追い込まれた結果だーという国家の欺瞞に挑戦した元大蔵省官僚の一撃。

「当時の日本の勢いというものは産業も着々と興り貿易では世界を圧倒する。英国をはじめ合衆国ですら悲鳴を上げている・・・だから今、下手に戦など始めてはいかぬ」というかっての陸軍大将、宇垣一成二・二六事件当時を振り返った戦後の感慨。事実、二・二六事件の翌年には植民地向け輸出額は英国を抜き去り世界最大の植民地帝国になっていたのだ。

したがい日本が突然「持たざる国」となったわけではない。経済原理を理解しない軍部の満州経営や華北経営が国富の流失を招き国際的孤立の中で自らジリ貧に追い込み結果「持たざる国」となり果てたのである。
軍事的敗北論とは一線を画した金融・財政戦略の敗北の本質を紐解き、いまだに語リ継がれるあの戦争神話の欺瞞を暴く力作。

巻末の加藤陽子の次解説は秀逸。
国民は国家の欺瞞に上手く乗せられ、国家もまたその理性を国民輿論の暴走の前に封印せざるを得なくなる事態が発生していた。

理解されやすいが欺瞞的な説明と理解され難いが構造的な真因の相克、今も変わらぬその情緒的処置はこの国の美徳かそれとも唾棄すべき国民性か。

俳優ー松方弘樹

「おやじさん、云うとってあげるが、あんたは初めから、わしらが担いでる神輿じゃないの。
組がここまでなるのに、誰が血流しとるんや。
神輿が勝手に歩けるいうんなら、歩いてみないや、のう!」
仁義なき戦い」第一作。松方演じる坂井鉄也が金子信雄演じる組長山守に反逆の狼煙を上げた名セリフです。

昭和40年代の日本、東京オリンピックに始まった好景気の波にたまたま乗った多くの企業には要領が良いけど無気力で無能な上司が掃いて捨てるほどおりました。団塊の世代はこんな経営層を支え汗と涙を流し働いたのでした。全学連の闘士ともども場末の映画館で安酒に溺れながらこのセリフに涙して喝采を送ったものです。

松方弘樹深作欣二の手にかかると生き返り名優になります。なかでも「恐喝こそ我が人生」と「北陸代理戦争」は傑作ですね。

『秋の思想』ー河原宏〜書評

 

歴史はこざかしい認識論などで解するものでない。
それは誠実さを尽くして生きかつ死んだ人の記憶とそれを追慕する人間像であると主張した著者の遺作。

源実朝から三島由紀夫まで情と志に生きた「人」の思想をその時代、社会背景から浮き彫りにする。

歴史観を述べるため選択した「人」の背景は理解できるが、衰退する時代を秋に模し精神の彷徨に立ち向かう情と志を哀感、哀惜、思慕で装うあまり「人」の人間像が前のめりに過ぎた嫌いがある。

たとえば西郷、乃木、芥川、三木それぞれの敗死、自決、自殺、獄死は近代日本史の悲劇的な様相を暗示すると指摘。そこから三島の切腹自殺(伝統的な武士の死)はこの多様で重層的な死の形を戦後日本に引き継ぐ象徴と位置付けるなど賛同でき難いものがある。

「忠」は心と中を組み合わせたもので「心中」となったものとする武士社会への痛烈な批判とその勇気、近松門左衛門など春(徳川幕府初期)の思想の筆致を意気に感じるのは皮相的だろうか。

『私たちはなぜ税金を納めるのか:租税の経済思想史』-書評

 

納税は義務ではなく権利だ!
なんの疑問も抱かず納税を義務として受容するこの社会に反感を覚えて数十年、ようやく我が意を得たる一冊に邂逅した。
17世紀英国のホッブズ、ロック、19世紀ドイツのワーグナーそして20世紀のルーズベルト大統領と大思想家、政治家をたどり租税思想の歴史をみごとに展開し解説する。
租税とは国家が市民に提供する生命と財産の保護への対価であり、国家が財産、生命を脅かすなら納税停止だけでなく革命権を市民は保持し、あくまでも個人が議会を通じて同意した上で国家に支払う。
英国市民革命を経て形成されたこの租税の思想はドイツにおいて財政目的のほかに社会政策目的が追加され、米国ルーズベルトにより租税を全面的に政策手段として用いるニューディル政策へと変遷していく。しかしいまや経済のグローバル化により国家の課税能力は移動性の高い所得源に対する能力を喪失しつつあり移動性の低い税源への依存度を高めている。このような状況において筆者は受益と負担の関係を国民国家という狭い枠組みで完結的に考える習慣から金融取引税や国際連帯税を例にあげグローバルな規模で租税を考え直すべきと結ぶ。

私のまとめは、アプリオリに納税を義務として受け入れた情緒的国民性を担保に原発被爆による生命への、そして円の叩き売りによる資産への脅威を看過して国民の同意なき租税の暴走を黙認してよいのか、このまままでは国家、領土にステッキーな移動性の低い国民性を突かれ、固定資産税や間接税という移動性の低い税源はなす術もなく増税の格好の餌食になるではないだろうか。

『コンテキストの時代』-書評

 

スマートフォンを失くすくらいなら自動車を失くした方がましだ!
冗談ではなくそうかも知れないと思う人が少なからず存在するのではないだろうか。

急増するインターネット接続依存症その媒介助長機能として縦横無尽のスマートフォン。なぜか手許にスマートフォンがないと不安で落ち着かない。
もはやスマートフォンは通貨に次ぐ必需品になったのかもしれない。

そんなスマートフォンの魔力はどこにあるのだろうか。
本書を読んでそれはコンテキストの創造能力にあるのだと想定してみた。

コンテキストの構成要素はモバイル、ソーシャルメディアビッグデータ、センサー、位置情報でありそのプラットフォームがクラウドコンピューティングであると本書はいう。

なるほどその通りならばまさにスマートフォンは万能だ、まことにわかりやすい。

かっては豊かな生活というコンテキストを象徴する自動車(モノより想い出という名CMが懐かしい)はいまやスマートフォンに日常生活のコンテキスト・システムの中心を奪われつつあるのだ。

だから自動車メーカーは血道をあげて自動車をスマートフォン化しようとしているのだ。でもその結果は見えていてコモデテイ化の果ての敗者でしかないのでは・・・車はウエアラブルにはならないもの。

『帳簿の世界史』-書評

 

会計が文化の中に組み込まれた社会は繁栄してきた。この主張を裏付けるヨーロッパ政治社会史の手引書ともいうべき本です。
その解析手法は秀逸で気楽な読み物として登場する人物、逸話への興味は尽きません。

無理を承知で勝手な時系列で要約をしてみます。

 

紀元前。
ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスは透明性の高い精密な会計で自身の政治的正統性を功績に結びつけ帝国発展の礎を築きました。

古代。
聖マタイは浪費を避け富への誘惑を絶ち誠実に心の帳簿をつけよと説きました。つまり精神の帳簿という会計文化をキリスト教に持ち込んだのです。

中世。
キリスト教徒は善行と悔悛に加えてキリストの血の代償により罪を帳消しにできるという心の会計の借方と貸方を学んだのです。

ルネサンス期。
教皇庁との取引で財を成したメディチ家の当主コジモはヨーロッパ最大の富豪となると法律でフィレンツエの土地所有者、商人に複式簿記の維持を義務付けその監査記録は今日まで保存されているということです。

近代。
オランダ総督マウリッツは複式簿記を学び政権運営にそれを導入した史上初の為政者でした。そして17世紀ヨーロッパで最も識字率が高く会計の理解度も高い国として黄金のオランダ時代を迎えたのでした。

さらに太陽王ルイ14世を支えた会計顧問コルベール、緻密な原価計算で大成功をおさめた英国の名門ウエッジウッド、奴隷も個人帳簿に計上した米国のジェファーソン、会計を忌避したヒトラー・・・。

会計システムを社会の中に組み込んできた社会が繁栄したのは何故でしょうか。
それは無味乾燥な数字の羅列から宗教的、文学的な意味合いを読み取ることが出来るほどに文化的な意識と高い意志を持つ社会が育ったからです。その背景には透明公正な会計と説明責任の完遂(日本語ではうまく説明しきれませんがFinancial accountabilityということです)が大きく寄与したためでした。

この本はいつか来る自身の清算の日を恐れず迎えるための手引書とも言えましょう。

『国家の罠』−書評


小泉政権の熱狂から10年経過したいま本書を再読。
そうすると安倍首相一人勝ちの背景が忽然と浮かび上がってきました。

あの当時は鈴木宗男氏への国策捜査に国民は熱狂しました。
国策を大義名分にした成り上がり政治家が外務省情報分析官と組んでの蜜月出世物語、さらに田中真紀子との対決が国民目線から悪役としての鈴木宗男を形成しマスコミが作り上げた劇場型検察ファッショの狂乱に国民を巻き込んだのです。

実はこの国策捜査の目的それは小泉首相ポピュリズムではなく日本という国家体制のパラダイム転換を国民に告げる号砲だったのです。

新たな国策とは、
内政ではケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線(大企業、金持ち、既得権益者の一人勝ち)外交では地政学的国際協調主義から排外主義的ナショナリズム(米国追従、似非極右への傾斜、体制翼賛)というものでした。

鈴木宗男氏は内政では地方の声を中央に反映させる公平分配路線を外交ではアメリカ、ロシア、中国とバランスのとれた関係を発展させようとし努力した政治家で、いうなればパラダイム転換前のニ要素を持った象徴的政治家でした。

彼を国策捜査のターゲットとしたことで失われた10年憤懣やるかたない情緒的国民の怒りを昇華させパラダイム転換が容易になったのです。

あれから10年、国家体制のパラダイム転換というシナリオは功を奏しました。
あの戦争でハイエク型傾斜配分路線と排外主義的ナショナリズムの両立を追求し日本を敗戦に陥れながらも戦犯を逃れ私財を蓄えた高級官僚その直系がいまや首相なのです。