bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

コロナ禍のオリンッピク開催

東京五輪パラリンピック組織委員会が会場で観客への酒類販売を認める方向で検討していたが、
一転して見送りの方向を固める迷走ぶりを見せた。」
今朝の新聞やTVではこのような趣旨の報道を一斉におこなっていま
 
新型コロナの蔓延以降、政府は厳しい酒類提供の自粛を関連業界に要請してきました。
しかし、いまだ収束の目途が見えない状況で飲食業界は苦境に陥ったままです。
それにも拘わらず、オリンピックの観衆だけには酒類提供を許可するという政府の考えは
いままでの政府方針とはまったく矛盾するものです。
 
そもそも問題の本質は、コロナ禍においてかけがいのない人の命とオリンピックを天秤にかけるという
人道を無視した政府の優柔不断さにあったと思います。
その挙句がこのような迷走を招いたといえるのではないでしょうか。
よく言えば、あまりにもオリンピックを美化しすぎた政府、悪く言えば、カネまみれの政府、
で政策の中心に国民が不在だと思います。
 
東京に緊急事態宣言が出されてもオリンピックはとにかく開催するというIOCの強硬姿勢からは、
オリンピックの崇高な理念は消失して、いまやカネまみれの商業主義イベントに変質して
しまったIOCのホンネが見えたように思えます。
 
1964年の東京オリンピックは、当時まさに日本経済、社会が驚異的な成長と拡大の途次であり
日本選手の活躍とともに戦後日本の目覚ましい発展を自他ともに印象付けて、
国民の意気高揚に大きな貢献をしたものだと思います。
 
しかし、今回は社会状況もオリンピック自体の性質も大きく変化しています。
 
オリンピック開催まであと一か月となった今、開催は既定事実として受け入れざるを得ないとしても、
いまだにオリンッピク開催反対の意見が世論調査では半数近くを占め、
オリンピックがコロナ感染拡大を助長するリスクを多くの人が危惧していることを。
そして栄光に満ちた1964年東京オリンピックを神話化したままの精神状況で
オリンピックの商業化した本質を看過していてはならないと思います。
いずれにせよ政府迷走の尻拭いをさせられるのは私たち国民なのですから。