bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

国葬は政治手段にすぎないー姑息な岸田政権

人の窮状につけ込み利得を得ようとする行為を「弱みにつけこむ」とか「火事場泥棒」などと言いますが、
最近では政府が国民を対象にし、惨事に便乗して利得を得るいわゆる「惨事便乗型」の政治手法が横行しているようです。

その例が安倍元首相の銃撃死に便乗した「民主主義の危機」と「国葬」発言にみうけられます。
安倍元首相の死は確かに衝撃的な出来事で国民の心胆を寒からしめました。
それよりも驚いたのは安倍元首相の葬儀さえ整わぬのに岸田首相は国葬とすると宣言したことです。

国民がショックのあまり情緒不安になっている時を狙った間髪おかぬ岸田首相の発言でした。
銃撃死ショックにより感情と理性・知性との相互補完のバランスを失った人々は、思考停止のまま
恐怖と民主主義の危機とを混同し、死者への憐みの情に溢れ死者を聖人化してしまう傾向があります。
とくに情緒過敏な日本人にとって、日本では稀な銃撃による元首相の暗殺は直截に民主主義の危機という
岸田首相の声に共感したものと思われます。

銃撃現場に急遽設けられた献花台に行列をなして参列に駆け付けたのは、情緒的な情動、つまり「今ここ効果」
(here and now effect)に駆られ弔意と賛美を混同一体化した人が多かったのではないかと私は思います。

たとえ元首相殺人であろうと日本国内で毎日のように発生している殺人という事象に変わりはありません。
衝撃的な一事象をとらえてあたかも普遍的な事態の発生であるかのごとく「民主主義の危機」と断定する
岸田首相の発言には論理の矛盾と飛躍があります。
もし殺人が民主主義の危機であるならば、それは安倍元首相の銃撃死に始まったことではなく日本の常態であったことに他ならないからです。

この岸田発言は、日本人の情動を熟知し惨事直後のタイミングをとらえたものでまさに惨事便乗の政治手法だと思います。
参院選挙を安倍元首相の弔い合戦と忖度した国民の同情票を獲得して岸田自民党は見事勝利を納めたのです。
この間「民主主義の危機」発言に同調したメディアや有識者の民主主義論議は今更ながらの体制翼賛の空論でした。
そもそも公文書改竄など政治の私物化を強行し民主主義を崩壊してきたのは安倍元首相ではありませんか。

ところで国葬には安倍元首相の盟友トランプ氏はじめ多数の海外要人が弔問来訪する見込みとのこと。
岸田首相にとっては、惨事便乗で造り出した晴れの檜舞台で世界に顔を売る絶好の機会です。
安倍元首相の遺志を踏襲するという岸田首相ですが惨事便乗型からトランピニズム(今だけ、金だけ、自分だけ)
の政治に陥らぬよう祈るばかりです。崩壊した民主主義国家の一員として。