bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

「国論を二分する」を考える

高市首相は度々「国論を二分する」政策との発言をおこなっています。

しかし、具体的な政策の説明がなくいままで何のことか分かりませんでした。

それが、ようやく理解できたのです。

 

高市首相は4月12日開催された第93回自民党大会で党総裁として演説を行いました。

その概要は次の通りです。

・国家の使命は、国民・領土・主権を守ること
・そのために外交・防衛・経済など「総合的国力」を強化
・鍵は経済成長。 投資拡大で強い経済に
・地域経済を重視し、投資・インフラ・産業支援で地方活性化
・安定政権の基盤として「強い自民党」が必要
 伝統を守りつつ改革(保守の立場で)を推進
・皇室制度維持のため、皇室典範改正を急ぐ
・憲法改正は党是
「決断のための議論」で結論を出し、国民に問う
・日本の未来のため、成長と挑戦を続ける

政権与党の党首として、きわめて常識的な項目が並ぶ中でひときわ目を引かされたのは下記2点です。

・「皇位継承策」

皇統に属する男系男子の養子縁組を可能とする案を第一優先に「静謐な環境で皇室典範の改正を目指す」

・「憲法改正」

「立党から70年、時は来た。発議に何とかめどが立ったと言える状態で、来年の党大会を迎えたい」

 

上記2点は、いずれも憲法の改正を必要とする政策にもかかわらず、なぜ世論の分断を煽るよな強い表現を用いるのでしょうか。

そもそも、「二分する」とは事態の客観的把握において使用される言葉であり、政策を提示する当事者が二分すると自ら表明するのは何か可笑しな話です。

これでは 最初から賛成 vs 反対、勝つか負けるかという構図を強調することになります。分断をあおっているのではないかとも邪推してしまいます。

さらに「二分する」と宣言することは、次のような政治的逃避地を作っておく意図があるのではないかと思います。

・国民が二者択一の選択をしたという理由を根拠に責任の所在を曖昧にできる

・複数の政策を一括で「国論二分」とすると、どの政策が評価されたのか
何が支持されたのかが分かりにくくなる

・如何なる 結果が出たとしても選挙結果の解釈は都合よく使る余地がある

 

首相発言を読み砕くと、その意図するところは次のようなことではないかと考えます。

・目標は、選挙に勝ち続ける強い自民党を作ることである。その為の手段(政策)は憲法改正と皇室典範改正である。

・憲法と天皇を掌中にしたならば、自民党は常勝軍団の無敵政党になれるであろう。

 

「私を首相にするか否か」と国民に迫り、総選挙を断行して圧勝した高市首相です。その余勢を駆って、「国論を二分する」として国民に問うものは、「民主主義か強権主義か」その選択ではないでしょうか。

 

国家の使命を差し置き、自民党を強くすることが目標だと高市首相は言います。

主観と独善とを混同してあたかも客観的で合理的な主張であると表明する首相は、究極の二者択一を国民に強要する可能性が高いと思われます。

 

(論点集約)

高市首相はたびたび「国論を二分する政策」という言葉を口にされてきた。しかし、その具体像は長らく霧中にあり、真意を測りかねていたのが実情である。その疑念が確信へと変わったのは、去る4月12日、自民党大会における党総裁としての演説であった。首相が語った国家の使命や経済成長への道筋は、一見すれば政権与党の首長として範を示す内容であったが、その背後には看過し得ぬ野心が潜んでいたのである。

 演説において、ひときわ異彩を放ったのは「皇位継承」と「憲法改正」への言及である。旧皇族の男系男子による養子縁組を優先する皇室典範改正、そして立党70年を機とした憲法改正の発議。これらは国家の根幹を揺るがす重大事でありながら、首相はあえて「二分する」という不穏な語を用いてそれらを提示した。本来、政治とは合意形成の歩みであるはずだが、当事者が自ら分断を宣言する姿には、対話よりも対立を煽り、勝敗の構図を鮮明にせんとする危うさが漂う。

 あえて「二分」を強調する背景には、周到な政治的計算が透けて見える。国民に究極の二者択一を迫ることで、結果に対する政治責任を国民へと転嫁し、複雑な個々の政策への評価を勝利の美名の下に塗り潰そうとしているのではないか。その真の目的は、憲法と皇室を自らの大義に組み入れることで、選挙に勝ち続ける「常勝軍団」としての自民党を確立することにあると推察される。政策はもはや目的ではなく、党の盤石化を果たすための手段へと変質しているのである。

 先の総選挙を「私を首相にするか否か」という国民への審判として断行し、勝利を収めた高市首相。その勢いを駆って今、国民に突きつけようとしているのは、単なる政策選択ではなく「民主主義か強権主義か」という危うい境界線ではないだろうか。国家の使命を傍らに置き、党の強化を至上命令とするその姿勢は、主観と独善の混同に他ならない。合理性の仮面を被ったまま究極の二者択一を強要する首相の政治手法に対し、我々は今、刮目してその行方を注視せねばならない。