bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

北方四島について。

北方領土問題について大前研一氏の気になる論説を目にいたしました。 

 
「北方4島について、日本政府はずっと国民を騙している」というものです。
 
要約しますと、以下のようなものです。 
・日本敗戦後にソ連(今のロシア)が北海道の分割を要求した。
・そこで、アメリカはソ連北方領土を領有することを認めた。
・その後の日ソ間交渉で、日本は二島の返還を前提にソ連と友好条約を締結したいと
アメリカに告げた。
・しかし、アメリカは四島の返還をソ連に要求しない限り沖縄は返還しないと突き放した。
・これが日本政府の四島返還論の背景で、政府はずっと国民に嘘をついてきたという。
 *1


この論説を裏付けるような元外務省職員、佐藤 優氏の記事もあります。
 ・2016年末ロシアのプーチン大統領が来日し安倍首相と面談しましたが、
  この話を プーチン大統領は知っていたというものです。
週刊現代2017年1月14.21日号)
 アメリカの影をかなり具体的に指摘していますので以下に引用します。

*2
 
いっぽう日本政府は北方領土問題に関する見解を外務省HPのQ&Aで示しています。
しかし、精読してみますと、全体像が把握できずすっきりしないものを感じます。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/mondai_qa.html#q1
 
どうやら北方領土問題は日本とロシア二国間のみの問題ではなさそうです。
 
*添付の二つの引用文はいずれも長文ですが、本件にご興味を持たれましたら
  是非お読みいただければと思います。
 
 ここで長文をあえて添付しましたのは、次のような考えからです。
 歴史について語るとき、文脈がない事件や資料の羅列では読者に対してまた読者にとっても
 意味(現時点で過去を振り返り将来展望への一助とする)をなさないのではないかと思います。
 なぜなら、歴史は人の集合活動の結果または進行形であり、AIがいくら進化しようとも
 人の手を介さずに意味づけできるとは思えないからです。
 そのため筆者のフィルターやバイアスがかかったものとなることはやむを得ないものと
 思っています。

 

*1:大前氏論考の引用:

終戦時にソ連と米国の間で交わされた電報のやり取りが残っています。

ソ連スターリンが北海道の北半分を求めたのに対して、米国側は反発。

代わりに北方4島などをソ連が領有することを認めました。

 

この詳細は拙著「ロシア・ショック」の中でも紹介していますが、長谷川毅氏の「暗闘」という本に書かれています。

米国の図書館などにある精密な情報を研究した本で、先ほどの電報などをもとに当時の真実を見事に浮かび上がらせています。

 

すなわち、北海道の分割を嫌い、北方4島をソ連に渡したのは米国なのです。

今でもロシア(ソ連)を悪者のように糾弾する人もいますが、犯人は米国ですからロシアを非難すること自体がお門違いです。

 

さらに言えば、日本が「北方4島の返還を前提」に固執するようになったのも、米国に原因があります。

1956年鳩山内閣の頃、重光外相がダレス国務長官と会合した際、日本はソ連に対して「2島の返還を前提」に友好条約を締結したいと告げました。

しかし、ダレス国務長官がこれを受け入れず、「(ソ連に対して)4島の返還」を求めない限り、沖縄を返還しないと条件を突きつけました。

 

つまり、米国は沖縄の返還を条件にしつつ、日本とソ連を仲違いさせようとしたのでしょう。

この1956年以降、日本では「北方4島の返還」が前提になり、それなくしてロシア(ソ連)との平和条約の締結はない、という考え方が一般的になりました。

1956年までの戦後10年間においては「4島の返還」を絶対条件とする論調ではありませんでしたが、この時を境にして一気に変わりました。

 

プーチン大統領の提案に対して、マスコミも識者も随分と叩いているようですが、1956年以降日本の外務省を中心に政府がずっと国民に嘘をついてきた結果、真実を理解せずに批判している人がほとんどでしょう。

プーチン大統領の提案は理にかなっています。

日本政府の「嘘」を前提にするのではなく、とにかくまず平和条約を締結することから

始めようということです。

 

プーチン大統領の提案通り、まず平和条約を締結すれば、おそらく「2島の返還」はすぐに実現すると思います。

残りの2島については、折り合いがつくときに返還してもらう、というくらいで考えればいいでしょう。

相手がプーチン大統領であれば、このように事を運ぶことはできるでしょうが、別の人間になったら「1島」も返還されない可能性も大いにあります。

 

今、安倍首相は「とぼけた」態度を貫いています。

真実を理解しながらも、周りにはそれを知らず

理解していない人も多いでしょうし、長い間日本を支配してきた自民党が国民に嘘をついていたという事実をどう説明するか、など悩ましい状況にあるのだと思います。

 

安倍首相に期待したいのは、ロシアに対して経済協力などを続けながら、とにかくいち早くロシアとの平和条約を締結して欲しい、ということです。

それが実現できれば、安倍首相にとって最大のレガシーになると私は思います。

 

北方4島の全てが返還されなくても、それによってどれほどマスコミから叩かれても、安倍首相とプーチン大統領の間で、平和条約の締結を実現すべきです。

官房長官などは知ったかぶりをして、4島返還について日本政府の方針に変わりはないなどと発言していますが、全く気にする必要はありません。

 

プーチン大統領の「どちらの主権になるかは明記されていない」という発言は、日本に対する嫌がらせではなく、日米安保条約の対象になるか否かを見据えたものです。

返還された島の主権が日本になると、当然のことながら日米安保条約の対象になり、米軍基地が置かれる可能性が出てきます。

そうなるとロシア国民に納得してもらえませんから、プーチン大統領は困ります。

 

一方、北方4島は日米安保条約の「対象にならない」とすると、今度は米国が許容できないはずです。

中国との尖閣諸島問題では日米安保条約の対象として米国に庇護を求めていますから、北方4島は対象外というのは虫が良すぎるということになります。

 

ロシアと米国のどちらも納得できる理屈が必要です。

例えば、沖縄返還と同様に「民政」のみ返還し、「軍政」は返還しないという方法です。

この形であれば、米軍基地が置かれることはなくプーチン大統領も国民に説明できるでしょう。

ただ、現実的に島民のほとんどがロシア人なのに民政だけ返還されても、ほとんど意味がないという意見もあります。

いずれにせよ、北方4島の返還にあたっては、日米安保条約の対象にならないようなプロセスや理屈が絶対に必要になってくると思います。

 

プーチン大統領の次を誰が担うのかわかりませんが、仮にメドベージェフ氏が大統領になれば、2島返還ですら絶対に容認しないでしょう。

プーチン大統領が在任中にまず平和条約を締結することは、極めて重要だと私は思います。

 

というのも、中国がロシアに接近しつつあるので、ロシアにとって日本の必要性が低下し、このままだと日本にとってさらに厳しい状況になるからです。

東方経済フォーラムを見ていても、プーチン大統領と中国は明らかに接近したと私は感じました。

 

中国は巨大な人口を抱える東北三省の経済状況がよろしくありません。

その対策として、極東ロシアへの投資に向けて動いています。

中国とロシアの国境を流れる黒竜江アムール川)をまたいで、現在両国を結ぶ橋を建設しています。

中国側とロシア側でそれぞれ資金を出し合っていて、橋の建設には中国の技術が活用されています。

 

中国とロシア間の動きが活発化し、中国から極東ロシアへの投資が拡大すると、その貢献度はかなり大きなものになります。

 

日本も目を覚まさないと、全て中国に持っていかれてしまいます。

少なくともプーチン大統領は内心では親日派なので、今のうちに早く動くべきです。

最後にもう1度述べておきます。安倍首相には、

どんな批判を受けても悪役になろうとも、何が何でもロシアとの平和条約の締結を実現させて欲しい、と思います。 

引用終わり

*2:山口県長門市で12月15日に、東京で翌16日に行われた安倍晋三首相とロシアのウラジミール・プーチン大統領の首脳会談について、日本のマスコミの評価は厳しい。

北方領土問題で何も成果がなかった」「経済だけを食い逃げされた」というような酷評が多いが、それらは間違えていると筆者は考える。今回の日露首脳会談は大成功だった。

日本もロシアも、形式だけでなく、実質的に領土問題、経済協力を含む重要事項について交渉できる環境を整えるという目標を達成したからだ。

もっとも興味深いのは、16日の共同記者会見でプーチン大統領が、「われわれは、経済関係の確立にしか興味がなく、平和条約は二次的なものと考えている人がいれば、これは違うと断言したい。私の意見では、平和条約の締結が一番大事だ」と述べたことだ。

プーチン大統領は、1855年の日露通好条約で北方四島が日本領になったことにあえて言及することで、1956年の日ソ共同宣言でロシアは歯舞群島色丹島の日本への引き渡し義務を負っているにすぎないが、歴史的、道義的に日本が領有に固執する国後島択捉島について、何らかの譲歩を行う可能性を示唆している。

この方向で両首脳と両国の外務官僚が命がけで交渉すれば、3~5年後に歯舞群島色丹島が日本に返ってくる可能性がある。

 

さらにこの会見でプーチン大統領は、日ソ共同宣言の履行にあたっては、日本側は日米安保条約との関係で、ロシアの安全保障上の懸念を払拭する必要があることを「日本と米国の関係は特別です。日本と米国の間には安保条約が存在しており、日本は決められた責務を負っています。この日米関係はどうなるのか。私たちにはわかりません」と述べる形で示唆した。

具体的には歯舞群島色丹島を日本に引き渡した後、日米安保条約第5条を根拠に、米軍がこれらの島に展開することをロシアは安全保障上の懸念と考えているという意味だ。

この関連で過去の経緯についてプーチン大統領は「日ソ共同宣言に署名したとき、この地域に関心のある米国のダレス国務長官が日本を恫喝した。『日本が米国の国益に反することをすれば沖縄諸島全域は米国の領土になる』と」と述べた。

ここでプーチン大統領が述べた「ダレスの恫喝」については、1955~1956年に行われた日ソ国交回復交渉の際の日本側共同全権をつとめた松本俊一氏が、1966年に上梓した当事者手記『モスクワにかける虹』に記述がある。

北方領土交渉の基本文書であるにもかかわらず、初刷りのみで絶版になっていたので、2012年に筆者が長文の解説を附して『日ソ国交回復秘録』と改題して再刊した。

この本には、日本外務省が公開していない機密情報が多数含まれている。「ダレスの恫喝」もその1つだ。

1956年8月19日、重光葵外相はロンドンの米国大使館を訪れ、ダレス米国務長官歯舞群島色丹島を日本に引き渡し、国後島択捉島ソ連に帰属させるというソ連側から提示された領土問題に関する提案について説明した。

それに対し、ダレスは激しく反発した。

 

〈八月十九日に重光外相は米国大使館にダレス国務長官を訪問して、日ソ交渉の経過を説明した。その際、領土問題に関するソ連案を示して説明を加えた。ところが、ダレス長官は、千島列島をソ連に帰属せしめるということは、サン・フランシスコ条約でも決っていない。

したがって日本側がソ連案を受諾する場合は、日本はソ連に対しサン・フランシスコ条約以上のことを認めることとなる次第である。かかる場合は同条約第二十六条が作用して、米国も沖縄の併合を主張しうる地位にたつわけである。ソ連のいい分は全く理不尽であると思考する。

特にヤルタ協定を基礎とするソ連の立場は不可解であって、同協定についてはトルーマン前大統領がスターリンに対し明確に言明した通り、同協定に掲げられた事項はそれ自体なんらの決定を構成するものではない。

領土に関する事項は、平和条約をまって初めて決定されるものである。ヤルタ協定を決定とみなし、これを基礎として議論すべき筋合いのものではない。必要とあればこの点に関し、さらに米国政府の見解を明示することとしてもさしつかえないという趣旨のことを述べた。

重光外相はその日ホテルに帰ってくると、さっそく私を外相の寝室に呼び入れて、やや青ざめた顔をして、「ダレスは全くひどいことをいう。もし日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたなら、沖縄をアメリカの領土とするということをいった」といって、すこぶる興奮した顔つきで、私にダレスの主張を話してくれた〉

それ以前にも米国務省がワシントンの日本大使館に「日本がソ連案を受諾するならば、米国は沖縄を併合することができる地位に立つ」と伝達してきた経緯があるので、「ダレスの恫喝」は個人的発言ではなく、米国の国家意思に基づいたものだ。

ちなみに東郷和彦氏(京都産業大学客員教授)が筆者に述べたところによると、「ダレスの恫喝」に関する公電や書類は、外務省に存在しない。

東郷氏は、外務省のソ連課長、条約局長、欧州局長を歴任したので、北方領土交渉に関するすべての情報にアクセスすることができた。

筆者が現役外交官だったときに、「東郷さん、公電を誰かが湮滅したのでしょうか」と尋ねると東郷氏は「いや、北方領土交渉に関して重要記録を廃棄することは考えられない。あまりに機微に触れる内容なので、公電にしなかったのかもしれない。真相はわからない」と答えた。

「ダレスの恫喝」について証言する文書は、今のところ本書しかない。日本にとって唯一の同盟国である米国との関係を調整することが、北方領土問題を解決する不可欠の条件になる。

日本は衰退する。

 

ローマ共和制国家、マヤ都市国家ソビエト共産国家、名誉革命以降のイングランドなど輝かしき繁栄を歴史に刻んだ国が衰退した要因は何か。それは収奪的な政治制度(権威主義、独裁的)と収奪的な経済制度(高賦課税、中央指令型計画経済)である。
さらに為政者の論理性を無視した自己陶酔と膨張本能、反対派への粛清と報復である。

この国は今やすべての条件が揃ったのだ。

12月8日の神話

いまから77年前の1941年12月8日(現地時間12月7日)大日本帝国軍は真珠湾に奇襲攻撃をおこない太平洋戦争の幕を切って落としました。

この奇襲攻撃を巡ってはローズベルト大統領が当初から知っていたとするアメリカの陰謀説が広く日本国内に流布しています。

そこで陰謀が本当にあったのかと疑問を持ち関連する書籍をいくつか読んできました。

そのうちでも興味ある二冊の内容をご紹介させていただきます。

 

ところで昨年NHKが全国の18歳と19歳、1,200人を対象に行った世論調査によりますと、日本が終戦を迎えた日について、14%が「知らない」と答えました。

12月8日についても同様な認知度でしょう。

 

「歴史とは民族の愛おしい誇りと美しい誤解が織りなす神話ではないでしょうか。

 神話であればこそ後世に語り継いでいくことが必要ではないでしょうか」

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  • 『「開戦神話」 対米通告を遅らせたのは誰か』

著者は開戦当時小学5年生の井口武夫、外交官。父君は開戦当時の在米日本大使館ワシントン勤務の外交官でした。

フランクリン・ルーズベルト大統領(FDR)は真珠湾攻撃を事前に知っていたが何の行動も起こさず日本を悪者にして日米戦争に引きずり込んだという陰謀説があります。

この本ではFDR陰謀説に懐疑的な背景と開戦通告を遅延した日本の問題が指摘されています。 

FDRの日本挑発については、「アメリカ政府は日米開戦直前までドイツがヨーロッパを席巻しないかと憂慮していた。日本への危機は二次的な関心にすぎなかった。だからこそ経済制裁で日本を屈服させられると考え日本の不意打ちにあった」と記しています。 

ハル・ノート」については次のような説明がされています。

「日本の最終提案には、アメリカが全面的に受諾すべき最終期限が付せられており、それ以上交渉をつづけない明確な意思表示をしている点では、交渉期限を付していないハル・ノートよりも国際法上の最後通牒の性格に近い外交文書であった」

「しかし、ハル・ノートが出された結果、禁輸緩和の最終交渉に入れないまま戦争に突入したので、日本軍部の期限付きで独断的に交渉を打ち切ろうとした態度の是非が、戦後の日米交渉史の批判的検証から外され、ハル・ノートによる対日戦の意図的な挑発という日本軍部に都合の良い通説が定着した」

 

またFDR陰謀説の背景として以下の二点を挙げています。

アメリカ学会の修正主義史観

 英国を助けて独国を破るため苦肉の策としてFDRが日本に先制攻撃をさせ対独参戦の大義名分を得るため。

・英中陰謀説

 ヒトラーに対して敗北寸前のチャーチルと国民党内に対日宥和派が出現し狼狽する蒋介石が語らってルーズベルトを巻き込んで対日独戦に持ち込んだ。

 

いっぽう日本側には対米通告が遅れた問題があります。 

・外務省から在米大使館へ開戦日の朝に到着した電報の謎。

対米通告の発信が大本営、政府連絡会議で「12月7日午前4時」に完了されるべく決定があったにもかかわらず外務省からの発信は12月7日午後4時と12時間も遅れた理由が解明されない。

・親電押収事件。

 FDRが開戦直前、昭和天皇に戦争回避を訴えた親電が長時間陸軍に押収された。

 親電の解読工作こそが対米通告の発信を保留させられた問題に絡んでいる。

 12月7日正午に中央電信局に入った親電は参謀本部通信課の戸村盛雄少佐により10時 間差し押さえられた。親電が、日本を悪者として世界に宣伝して袋叩きにする謀略工作だと考え参謀本部作戦課の瀬島龍三少佐と協議した独断的な行動だった。

 

著者はアメリカのノンフィクション作家、クレイグ・ネルソン。

真珠湾」をめぐる日米の諸相を網羅しこれぞ真珠湾大全と謳う800ページの大著です。

この本では想定外を想定する指摘がいくつかありますのでご紹介します。

 

・ロンドン・ディリー・テレグラフ紙の海軍特派員、ヘクター・C・バイウオーターが1925年「The Great Pacific War」という仮想戦記を上梓しました。

これをニューヨーク・タイムズ・ブック・レビューが第一面で取り上げ同紙は「もし太平洋戦争が起きたら」という見出しを掲げた。

この小説には真珠湾アメリカ艦隊が日本によって奇襲攻撃される場面が描かれており、そのさい日本側はグアム島フィリピン諸島のリンガエン湾とラモン湾同時攻撃するとしている。

なんと同書が出版された時期に、山本五十六が海軍から派遣されて駐米日本大使館に勤務していたのです。

 

・1938年1月10日、エドワード・マーカム大佐は米陸軍省のためハワイの軍事力に関する調査を行い次のような結論に達しました。

日本との戦争はある日突然、なんの前触れもなく起きるだろう。歴史の最も明白かつ最も重要な教訓は・・・(中略)その統治形態ゆえに日本の陸海軍は危機が迫った場合、文民統制から独立した形で陸海軍関連の作戦を開始・遂行できる・・・(中略)もし仮に合衆国と日本国とのあいだで敵意が高まった場合、ハワイ諸島が真っ先にその行動の対象となることに疑問の余地はなく、日本はこれら諸島に対する強力かつ決然たる攻撃を、その利用可能な人力および資源をもって実施するであろう。

 

・つぎにあげるのは日本でもよく知られている話です。

1941年1月半ばペルーの駐日大使、リカルド・リヴィエラ・シュライバーはアメリカ大使館を訪れて次のように述べた。「合衆国との間で問題が生じた場合、日本の軍部はそのもてる軍事的装備をすべて用いて、真珠湾に大規模な奇襲攻撃を敢行すべく計画中と、数多くの情報源から聞いたので一応伝えておく」

グル―駐日大使は1月27日、意外な新事実として国務省に伝達した。

 

著者曰く、「後世の人間はこういう話を聞くと、どうしてハワイの軍幹部は12月7日以前にいかなる脅威も感じなかったのかと不思議な気分になる。まさにこれこそが真珠湾以前におけるアメリカの一般的空気だった。」

 

真珠湾をめぐる最大のミステリーが運命の日直前の12月5日に起きています。

 南雲艦隊が12月5日に外国船と遭遇した。

それはソ連トロール漁船「ウリツキ―号」でオレゴン州ポートランドウラジオストクの間を行き来していた。

南雲はなぜこの漁船を撃沈しなかったのか?

同漁船は南雲艦隊を見たことをどこかに報告していたのか?

それならなぜモスクワはワシントンに告げなかったのか?

 

・そして対日戦の大勢が決したアメリカでは真珠湾の総括をおこなうべく10人の連邦議   員(民主党6人、共和党4)からなる上下両院合同真珠湾攻撃調査委員会を立ち上げま   した。

 1944年7月20日から10月20日にかけて151人の目撃者から証言を聴取した9,754ページの調書、証拠物件469件からなる報告書をまとめて1946年7月16日、FDR陰謀説に対しては次のように最終報告をしています。

 

ローズヴェルト大統領、ハル国務長官、スティムソン陸軍長官、マーシャル陸軍参謀総長、スターク海軍作戦部長、ノックス海軍長官が「米国を攻撃させようとして日本を騙し、挑発し、扇動し、甘言を弄し、強要した」証拠はない。

 

ゴーン問題は日米安保と相似

日産が倒産の危機を救ってくれたルノーに恩義を感じるのは当然だ。ところがいまやルノーの屋台骨を日産が支える状況。収益力のみならず電気自動車はじめ技術力でも日産はルノーを凌駕している。そんな日産にとりもはやルノーは目の上のたんこぶであろう。

しかしゴーンを送り込できたルノーは大株主で日産の首根っこを押さえつけている。物事は日産の思うようにはなかなか進まない。そこで金商法をかざして日本政府に独裁者ゴーンを差出しルノー支配に対するクーデター劇となった。その裏ではおおかた日仏両政府の思惑が策動しているのだろう。

米中貿易戦争にみられるようにグローバル経済の怒涛はいまや国家主導の新植民地主義へと変化しつつあるようだ。

 

ところで日産のルノーに対する構図はアメリカに対する日本の状況に酷似している。

すなわち日米安保条約地位協定に拘束された日本の縮図ではないかと思えてきた。敗戦後、昭和天皇東京裁判から救い米国とソ連による日本の分割統治を回避したのはアメリカである。日本は間違いなくアメリカに大きな恩義がある。しかしいまだ首都の制空権がなく米軍に蹂躙された沖縄を放置しておいていいのか、日本外交の独立性からもアメリカは何かと邪魔になる。

経済的にはともかく軍事的には当面アメリカの傘が当面は必要かもしれない。しかしもう十二分に恩義は果たしてきたのではないだろうか。日産のクーデターを範として主権奪取へ国民総意で取り組む時ではないだろうか。

擬制国家に終幕を

昨年NHKが全国の18歳と19歳、1200人を対象に行った世論調査によりますと、日本が終戦を迎えた日について、14%が「知らない」と答えました。

12月8日について質問をしても同様な認知度でしょう。

 

スマホとSNSに没頭する若者、マネーゲームとスキャンダルに狂奔する大人たち、人倫が地に落ちた日本社会。政治は労働と賃金の規制を強化して国家社会主義へと舵をとっていきます。

このまま敗戦の屈辱に蓋をして負の歴史を忘却の彼方に追いやってしまってよいのでしょうか。

 

敗戦を終戦と言い換えた昭和20年の夏から73年が経過した今年の夏は

平成、最後の夏です。

そこで歴史を振り返り日本について考えてみました。

 

Ⅰ.アメリカとの関係

 

1945年夏、大日本帝国は連合国軍に無条件降伏をしました。

それから一年余りが過ぎると新生日本の憲法が公布されました。

新しい憲法は敗戦で打ちひしがれた日本人の将来への不安を和らげるものでした。なぜなら意外にも昭和天皇=国体の護持を憲法の冒頭に打ち出したものだったからです。

 

いっぽう、この冒頭の条文により国民の間で喚起され得る軍国主義への揺り戻しをGHQと政府は懸念していました。そこで新憲法の趣旨は国民主権基本的人権の尊重と平和主義(三大原則)であると国民に説明したのです。

この三大原則は戦争で疲弊した日本国民のみならず戦火に朽ちたアジア諸国に対する日本再生宣言として容易に受け入れられるものでした。

 

しかしこの憲法の本質は日米が結託した天皇=国体の護持であったのではないかと推測しています。その推測の背景は次のとおりです。

 

(占領下に公布された憲法

 

日本は1945年9月2日から1952年4月28日まで連合国軍(米軍統治部隊)の占領下におかれていました。この占領下の1946年11月に日本国憲法は公布されています。

憲法が公布されたのは連合国軍の占領(実態は米軍占領部隊、以降GHQの呼称を使用)からわずか1年余が経過したばかりで占領終了となる5年半も前のことです。

 

連合国軍統治下の日本においてなぜ憲法が必要だったのか、そもそも独立国ではなく被占領統治下において公布された憲法に正統性があるのでしょうか。

 

憲法そのものの正統性が疑われるにもかかわらず日本政府とGHQは憲法公布をなぜ急いで強行したのでしょうか。

ここにGHQが仕掛けた時間のトリックがあると思います。

 

憲法公布を強行した理由は次のように推測します。

 

1.GHQは早急に日本国民を安堵させ占領政策を円滑に進めたかった。

そこで情緒的な日本人の国民性を逆手にとりあえて日本の國體は敗戦後も揺るぎないことを暗喩で伝えるべく憲法第一条に象徴なる天皇と打ち出した。

この暗喩はストレートな国家安泰のメッセージとして国民に好感をもって受容された。

 

なぜなら大東亜戦争を通して国民の精神生活を支えたのは「教育勅語」と「國體の本義」で叩き込まれて骨肉と化した万世一系の皇統による天壌無窮の皇国日本であったからです。

実はこのGHQ決断の背景には昭和天皇の戦争責任回避への動向が大きく影響を与えていたのです(憲法第一条が天皇である背景)。

 

2. GHQは占領終了後の日本で憲法を修正、廃止されることを恐れました。なぜなら7年近くにわたる占領期間で営々と築いた日本における自国権益を損なう可能性があるからです。そこで容易に憲法の改正が出来ないように占領下の憲法公布というジレンマである「憲法の正統性への疑義」という罠を日本に仕掛けた。

 

憲法第一条が天皇である背景)

 

この背景については以下のように推察しています。

 

一、昭和天皇の最大の関心事は15年戦争開始時から敗戦後まで国民生活ではなく國體=天皇の維持と存続であった。したがい昭和天皇は無条件降伏後に自身の戦争責任回避はすなわち國體護持であるという願望達成に傾注した。

二、いっぽう国民への強力な影響力を持つ天皇の力(現人神として國體の象徴)をGHQは熟知していた。そこで占領統治にあたり狂信的な愛国者や不満分子の暴動などを危惧していたGHQは天皇を利用して占領政策を効果的にかつ穏便に進めることを統治方針とした。

 

ここに「國體(天皇)護持という免罪符による昭和天皇の戦犯訴追回避」と「昭和天皇利用によるGHQの日本統治戦略」という日米の思惑が一致して「國體の象徴としての天皇」という切り札、憲法第一条の成立を見たのです。

 

そして日本国民の象徴たる昭和天皇=國體は1947年9月に沖縄メッセージ(参考-1)を出すという致命的な違憲行為をおこないGHQ=アメリカの永続的な対日統治システムの罠に取り込まれていったのです。

 

憲法の実質的上位法、日米地位協定

 

日米地位協定は1960年に締結されました。その前身は1952年2月に外務省庁舎内で結ばれた日米行政協定です。1951年9月サンフランシスコ講和条約が結ばれ日本が独立国となってから半年後のことです。憲法は1947年5月に施行されています。つまり独立国として承認される前です。

このような敗戦後の錯綜した背景で密かに結ばれたのが日米地位協定です。その内容は簡潔にいうと「独立後の日本ではGHQ が在日米軍になりすました」ということです。(敗戦を終戦と言い換えたことに似ています)

 

この実態を証明したのは1959年、砂川判決において最高裁在日米軍治外法権を認めたことでした。つまり日米地位協定憲法の上位法であることを最高裁が裏書きした判決でした。

 

この日米地位協定に基づき日本の官僚と米軍が毎月打ち合わせ協議をしています。協議主体は日米合同委員会という名前ですが、日本代表は外務省北米局長なのです。防衛大臣でも外務大臣でもありません。不思議に思われるがここにも法のトリックがあります。公務員法トリックと呼ばれるものですが長くなるので説明は省きます。(参考-2)

要点は敗戦後の新憲法で権限を失ったかにみえる天皇の官吏たちは特権を維持しているのです。

 

以上のごとく占領下におけるGHQ=アメリカの巧妙な戦略に取り込まれた自称法治国家の日本は法治を唱えるほど内外から法的に拘束されて自縄自縛におちいる状態にあるといえます。

 

Ⅱ.国際連合=国際社会における日本のポジション

 

(いまだ敵国条項の対象国である日本)

 

国際連合憲章は1945年10月24日に発効した国際連合の目的を達成するための国際条約ですが第53条、第107条には敵国条項(enemy state 

clause)の規定があります。(参考-3)

 

この条項の対象国は第二次大戦中に連合国の敵国であった国すなわち日本、ドイツ、イタリア、ブルガリアハンガリールーマニアフィンランドの7カ国ですが日本とドイツを除く5カ国は大戦中に枢軸国側から離脱しており実質的な敵国は日本とドイツです。

条項の主旨は、条項対象国が戦争結果の確定事項に違反し侵略行為を再現するような行動等を起こした場合には、国連加盟国や地域安全保障機構は、国連憲章51条に規定された安保理の許可がなくとも当該国に対して軍事制裁を課すことができるとしています。

 

(*)第53条の執筆者である米上院議員アーサー・ヴァンデンバーグは起草委員会の席上で「主要な目的は、ドイツと日本の永久的かつ有効な非武装化であり、それら2カ国の支配である」とのべたと議事録にある。つまり、あらゆる紛争を国連に預けることを規定した国連憲章51条の例外規定として敵国条項に該当する国が起こした紛争に対しては自由に軍事制裁を課する事ができるのである。さらに旧敵国との紛争については平和的な解決義務すら負わされていないとされている。(下線は小生)

 

国連憲章にも日本拘束の罠)

上記のようにいまだ日本は世界の敵国としての軛ははずされた状況にありません。

さらに第107条にあるとおりアメリカはGHQ占領統治時代に遡り日本国の生殺与奪を左右できる行動権を有しているのです。

 

国連創始期から世界情勢は変化して日本も大きな国際貢献をしてきたのでこの条項は死文化したというのが国内では大勢の意見のようです。

しかし国連憲章の解説書によるとドイツはともかく日本は未だ敵国条項の対象として存続している可能性が高いと思われます。何故なら世界80余名の法律家による国連憲章解説書によると、ソ連(ロシア)を含む連合国は第107条にもとづく権利を、少なくともドイツとの関係においては放棄したように思われるとか、東欧政策の諸条約は、ドイツと東側の隣国との関係において第107条をそして第53条をも無効にしたなどの記述があるものの日本に関する記述は見受けられないようです。

 

Ⅲ.國體について

 

「國體」とはなにか。

誤解を恐れず大胆にいうならば私は「國體」を次のように考えています。

天皇天皇制がはたしてきた政治支配の体制(政体)を根拠づける役割で政体に対する国体というテーゼ、アンチテーゼをアウフヘーベンするものまたはされたもの。と書いたもののわかったような気がするものの良くわかっていません。本当は曖昧模糊としたもので国民それぞれが心の中に持つ国家と民族への家族愛的な郷愁そして自然と人生の同一視という安息できる非合理観ともいえるもので一億の國體があるのかもしれません。

 

Ⅳ.擬制国家に幕引きを

 

いままでの考察を要約すると日本の状況は以下のようなものです。

 

世界との関係ではいまだ「第二次大戦の敵性国家」

アメリカとの関係では永続的に「主権のない従属国」

自国では「憲法に鎮座する上位法」

 

どうしようもないほど憲法日米地位協定そして国連憲章と幾重にもがんじがらめに絡めてに捕捉された状態にあります。

 

敗戦から73年いまだ日本は連合国軍占領下の状況に置かれたままま首都の制空権すら持ち得ない擬制独立国家に埋没しているのです。

 

いわば釈迦掌中の孫悟空で東洋の涯の独立国家を偽装した所詮は砂上の楼閣に過ぎません。

 

すでに遅きに失してはいるものの日本は一刻も早く敗戦から引きずってきた軛を外して茹でカエル状態から脱出しなければ国家の蒸発があるのみでしょう。

 

ところが安倍首相はトランプ大統領と100%共にあると得意満面で星条旗の旗振り先導役をつとめ国家延命の手段にすぎぬアメリカへの隷属と日米同盟を自己目的化するという有様です。

 

まさに「大君(アメリカ)の醜の御楯と出で立つわれ」(白井聡)で「菊の國體は星条旗に」すり替わったことを世界に宣言しているのです。

 

日の丸の星条旗化とは、すなわち昭和天皇とGHQの思惑が一致した国民不在の敗戦合意への原点回帰であり、永久敗戦国、日本の実態です。

 

真実の独立国家たりえない日本で主体的に国家百年の計や国家ビジョンなど構築することなどいくら願ってもできるはずがありませんでした。

 

日本の政治が所得倍増、日本列島改造、郵政改革そしてアベノミクスなど戦後一貫して経済繁栄の小手先戦術論に終始してきたのはもっともで、これらの戦術が国民に繁栄をもたらしたことは間違いありません.

 

しかし国家としての目標やビジョンを生み出すことはありませんでした。

 

これから航海に出るのに目的地が明確でなくては航海途次の障害物も必要とされる装備や糧食も計算できません。

しかるに憲法や国防を論じるのによって立つ脚元が鎖につながれた擬制の独立国家で国家の目的地=国家ビジョンがなくして何を目的にどう語ることができるのでしょうか。

 

目の前の事象に惑わされ刹那的で機会主義的に反応し挙句の果ては手段を目的化して自滅する。どうも日本民族の悪しき習性のようです。

 

改憲や国防論議の前にまずやるべきことはこの国を真の独立国家とすることです。

 

今上天皇は父の不始末を詫びて沖縄をはじめ日本が戦争に巻き込んだ東南アジア諸国を歴訪されて慰霊の行脚を続けてこられました。

また憲法の許容範囲をわきまえて象徴天皇への疑義を問いかけ精一杯に擬制国家の終焉に向け幕引きの努力をされています。

そのお姿には心から頭が下がります。

陛下の御意志を汲んで星条旗や国連の巧妙に仕組まれたからめ手の拘束を早急に解きほぐしていくこと、そのための方策について議論を戦わせ偽装国家の幕引きにむけて輿論を巻き起こす平成の秋です。

 

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*参考-1(沖縄メッセージ)

1947年9月、昭和天皇宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に米国による沖縄の軍事占領に関する天皇の見解を伝えました.その内容をまとめたメモです。内容は以下の通りです。
 米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。
 占領は、日本の主権を残したままで長期租借によるべき。
 手続は、米国と日本の二国間条約によるべき。

 

このメモのコピーは沖縄県公文書館に展示されていましたが、安倍政権になるとその時期は不明なるも展示はなくなったようです.
 
 

*参考-2(公務員法トリック)

 

阿久根市長 竹原 信一さんがわかりやすく説明していますので次に引用します。

 

『公務員法トリック』

意外な事に、日本国憲法で定められている「公務員」は今私達が考えている公務員ではありません。

 

日本国憲法 第15条(公務員)

①公務員を選定し、及びこれを罷免することは国民固有の権利である。 

②すべて公務員は全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。 

③公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。

 

つまり選挙によって選定される政治家が公務員なのです。そしてお役所の職員(役人・官僚)については73条に「官吏」とあります。

 

憲法73条(内閣の職務)

④法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。

 

このように新憲法で権限を失うことになった天皇の官吏たちなのですが、国家公務員法で再び特権獲得を実現するのです。

 

国家公務員法 第1条

①この法律は、国家公務員たる職員について適用すべき各般の根本基準(職員の福祉及び利益を保護するための適切な措置を含む。)を確立し、職員がその職務の遂行に当り、最大の能率を発揮し得るように、民主的な方法で、選択され、且つ、指導さるべきことを定め、以て国民に対し公務の民主的且つ能率的な運営を保障することを目的とする。

②この法律はもっぱら日本国憲法第73条 にいう官吏に関する事務を掌理する基準を定める。

 

国家公務員法では、「官吏(職員)を公務員と呼ぶ。公務員は職員集団の福祉および利益の保護確立をする。その上で、国民に対する職員の集団主義的な運営を目指す」というわけです。役人が事実上の主権者、そして『公務員』は自身の利益と福祉の獲得を目指す権限を持つ身分集団です。 政治家は特別職として公務員の添え物扱い、添え物を選ぶ国民に主権などありません。当事者意識をなくすのは当然です。役人主権のままである限り、地方分権問題も役所間の利権問題にすぎません。

 

*参考-3(国連憲章)

 

第53条〔強制行動〕  

1.安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の地域的取極又は地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない。もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。

2.本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。

 

第107条〔敵国に関する行動〕

この憲章のいかなる規定も、第二時世界戦争中にこの憲章の署名国の敵であった国(例えば日本)に関する行動でその行動について責任を有する政府(この場合、アメリカ)がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。

(カッコ内注記、下線は小生)

 

甲子園大会はナショナルな祭事だ。

お盆と敗戦記念日にまたがるこの期間に夏の高校野球は開催されます。日本の8月は6日、9日、15日です。日本人が祖先や故郷そして祖国に想いを致す時季なのです。そのような感傷的な季節だからこそ、科学的で経済合理性過多の日常から抜け出したいのです。灼熱の夏の陽ざしを受けて腕よもげよとばかり連投に次ぐ連投の投手を見ているとそこに孤立無援で孤高の美ともいうべき日本精神を見いだして私は幸せな共生感に浸るのです。試合が終了すると敗戦投手の後ろ姿に、敗北には勝利より美しい負けがあるのだと祝福したくなるのです。正午のサイレンとともに黙祷をして敗戦後七十余年続くこの国の平和を万感の思いを込めて祝う夏の高校野球です。

昭和天皇は平和主義者なのか。

昭和天皇は、いつも分限とか格好にこだわり国民心情とくに貧者や弱者への洞察と寛容にかけた小心狭量な人物であったと思います。そして決して立憲君主主義者でも平和主義者でもなかったといえます。

 
以下にその例を挙げてみます。
 
人事介入
1939年、阿部内閣組閣の際の陸軍大臣選定への介入をはじめ気に入らない人物への嫌悪をあらわにした陸軍人事への度重なる介入。
「石原(石原莞爾ー野村注)については“東京以外に出せ”とまで指示し、この結果、石原は、京都の第十六師団留守司令部にとばされている。」(「秘録板垣征四郎」)
 
沖縄発言
1947年9月、宮内庁御用掛の寺崎英成はシーボルトGHQ外交局長を訪ねて次の天皇の意向を伝えた。「天皇は、アメリカが沖縄を含む琉球の他の島を軍事占領しつづけることを希望している。天皇の意見によると、その占領はアメリカの利益になるし、日本を守ることになる。」(進藤栄一「分割された領土」≪世界≫1979年2月号)
 
 
開戦 
「私が若し開戦の決定に対して『ベトー』をしたとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する者は殺され、私の生命も保証されない」(寺崎英成「昭和独天皇独白録」)と国民ではなく自己中心の保身と価値体系で開戦を判断するという態度です。
 
戦争継続への執着 
1945年2月14日、近衛文麿の有名な上奏。近衛はこの上奏で敗戦はもはや必死である。しかし、降伏は直ちに国体の変革を意味しない。むしろ国体護持の観点から見たときに敗戦よりも恐るべきは、それに伴って発生する可能性のある共産革命である。この最悪の事態を回避するため、いまはなによりも和平交渉を急ぐべきである、と率直な意見を述べた。しかし、天皇は「モウ一度戦果ヲ挙ゲテカラデナイト中々難シイト思フ」とのべて近衛の提案に消極的な姿勢を示している(「木戸幸一関係文書」)
また同じ2月には中村俊久侍従武官に「この戦争は頑張れば必ず勝つと信じているが、国民が耐えられるだろうか」と語った(秦郁彦裕仁天皇五つの決断」)
 
戦争責任 
敗戦後、天皇は木戸侍従長に開戦時は立憲君主ゆえこれを阻止できなかったと弁明して「天皇に対する米国側の論調(極刑を要求ー野村注)につき頗る遺憾に思召され、之に対し頬被りで行くと云ふも一つの行方なるが、又更に自分の真意を新聞記者を通して明にするか或いはマ元帥に話すと云ふことも考へられるが如何」(「木戸幸一日記」)として戦争責任追及の世論をかわそうと画策していたことがわかります。
 
マッカーサーとの最初の会談では「敗戦に至った戦争の、いろいろな責任が追及されているが、責任はすべて私にある」(藤田尚徳「侍従長の回想」)と見えを切りました。
しかしマッカーサーとの会見直前ニューヨーク・タイムズ特派員フランク・ルイス・クルックホーンと会い「朕は真珠湾攻撃当日の宣戦の詔勅を、東条がそれを用いたような意味でなすつもりはなかった」と述べ、自らの開戦責任をあいまいにしようとしていた。また「朕は武力をもってしては恒久的平和は樹立されもしなければ維持もされないと信ずる」として、自らが平和主義者なることをアピールした。(由利静雄・東邦彦「天皇語録」)
 
マッカーサー占領政策のツールとしてうまく利用されながら保身を図り国体護持の美名のもと昭和天皇は平和主義者として国民に受け入れられたのです。
 
昭和天皇の自己保身と弁明はかって何度か書きましたがこれで止めておきます。
 
とにかく終戦詔勅でもっとも許せないのは国民に対するお詫びの言葉が一つもないことです。
 
このような父親の不始末を国民に詫びて今上天皇と皇后様は沖縄をはじめサイパンなど戦地に足しげく慰霊の旅を続けられてきたのだと思います。
今上天皇には頭が下がります。