bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

カープ女子は現政権への異議申し立てである。

(3年前の投稿)



南海ホークスが消滅してからというものプロ野球への関心は薄れていた。
しかし巨人や阪神など人気球団が札束を積んでこれみよがしに地元フアンと球団が相携え育てた広島カープの選手を強奪していく、その傲慢な姿に憤慨していた。

福島原発のトラブルから三年半を経過するも諸問題は放置、御用学者やマスコミを囲い込み権益・金欲にまかせ原発再稼働にひた走る政府の姿と二重写しになる。

広島から離散したカープ出身選手たちの意気と活躍があるからこそ今のプロ野球の隆盛があるのだと秘かに信じてる。
広島、長崎の被曝経験を国民みなが共有してきたからこそ70年近く平和を維持できたと秘かに同胞を誇りに思っている。

広島カープは強欲と金権が闊歩するプロ野球界へのアンチテーゼだと秘かに喝采を送っている。
そしてカープ女子は人命とカネを天秤にかけ国民を愚ろうする卑劣な現政権への異議申し立てだと勝手に応援している。

三ヶ月の物語。

心温まる後日潭があります。
クルド系シリア人の男児で3歳のアイラン・クルデイの遺体がトルコの人気リゾート地の海岸に打ち上げられ家族4人で一人残された父親アブドッラー。
アブドッラーの一家空爆のダマスカスを逃れトルコに逃亡。そこでカナダへ渡るビザ発給を待っていた。アブドッラーの姉はカナダで美容師として25年暮らしていたのだ。しかしカナダ政府は、アブドッラー一家はトルコに逃れておりこの国は安全だと判断しビザ発給申請を却下した。そこで姉は5,800ドルをアブドッラーに送金した。このお金でアブドッラー一家ギリシアにわたりヨーロッパに亡命することにした。しかしトルコからギリシアへの密航船は大波にさらわれ船長は海に飛び込み逃げてしまい船は沈没。その後カナダでは、一家がカナダを目指していたことが報じられ連邦議会選挙で難民と亡命政策が最優先課題となり自由党のジャステイン・トルドー党首がカナダ首相に選出された。トルドーは即座に2万5千人のシリア難民受け入れを決定。カナダに地を踏む最初の難民を一個人としてトロントのピアソン空港に出迎えた。そしてカナダ移民局はアイランの家族と親戚7人の移民申請拒否を破棄した。しかしアブドッラーはこの申し出を受けた時には違う道を選んでいた。クルド人自治区の大統領の招きに応じてクルデイスタン地域に移り住み地元で難民を支援する仕事に就いていた。彼は語った。「自分の家族を失ったことで、多くのほかの家族に扉を開くことができました。カナダの人たちのことは怒っていません」
アイランが亡くなってから、わずか3か月間の出来事だった。

昭和45年という時代を抉り取った歌手 2

昭和45年4月には「圭子の夢は夜ひらく」7月には「命預けます」と連続してヒットを飛ばした。そして藤圭子は昭和45年の一年間で燃焼してしまったのだ。

ゲバラサルトルそして朝日ジャーナルに象徴される革命的未来に若者たちは憧れた。そんな輝かしいユートピアの構図に立脚した社会変革を試みる大学生が急増していた。それは敗戦が産んだ戦争を知らないベビーブーマーからの曖昧な「時代」に対する異議申し立てであった。その異議申し立ては時の権力機構に対する暴力的行為に表象された。口より手の方が早かったのだ。日本中の大学に学生運動が燎原の火のごとく広がった。昭和43年10月の新宿騒乱から昭和44年1月の東大安田講堂陥落にかけて燃え上がった若者たちの刹那的な政治の季節はあっという間に国家権力に打破され不完全燃焼のまま終わっていた。

昭和44年の秋も深まり新宿騒乱から一周年を過ぎたひと夜、私は東口にある三平食堂裏の安酒場で友と飲んでいた。終電の時間が近ずき潮が引くように客が居なくなり静寂な時間が流れ始めた途端だった。友は何を思ったか突然バーカウンターの上に身を伏せると「終わった・・・」とつぶやくとしのび泣きだした。

なぜ泣くのか。アンチテーゼとしての左翼学生運動が消滅してしまい思考の昇華ができない民族主義者の悲しみか?

いや今思うと学生生活、最後の秋への感傷ではなかったろうか。

ジュークボックスから苦しみもがく歌声が聞こえてきた。

「前を見るよな 柄じゃない
 うしろ向くよな 柄じゃない
 よそ見してたら 泣きを見た
 夢は夜ひらく」(圭子の夢は夜ひらく) 

目に見えぬ巨大な力にねじ伏せられた若者の心象風景をまさにあらわしていた唄だった。

右も左もノンポリも混迷のあげく無力感と虚無感に陥っていた東京の晩秋だった。

昭和45年3月、大学卒業そして大阪万博の開催。
高度成長の幕開け日本の春到来、しかしその裏では成田空港反対闘争、よど号事件発生。いまだ残り火はもだえていた。

昭和45年6月、安保条約自動延長。

「雨の降る夜は 雨になき
 風の吹く日は 風に泣き
 いつか涙も 枯れはてた」(命預けます)

貧しい学生生活を送りながら命預ける先も見えぬまま、不満な「時代」に対するわたしの異議申し立ては消滅してしまった。

昭和45年11月、三島由紀夫割腹自殺。
昭和45年12月、「昭和残侠伝死んで貰います」公開、これが任侠映画の終焉だった。

「女のブルース」には胸が痛みながらもなぜか心が潤む、藤圭子は昭和44年新宿の激動をそして昭和45年の日本の若者の心を切り取った歌手であった。

 

 

大震災に思う記憶と記録

震災という非常時の只中で被災した人が記録などとっている余裕はまずないでしょう。
そこで被災した人の記憶が継承され震災が語り継がれることになります。
ところが伝言ゲームに見られるように記憶が伝聞されると尾ひれがついて事実が歪曲されることがあります。
ときには意図的に伝え聞いた話を誇張したり省略することがあるかもしれません。
 
そこで普通は災害が終息した後には学者などの専門家により原因の調査や災害の把握がおこなわれています。
そして科学的分析のもとに原因の指摘と将来に備えた対処策を提示した文書記録が残されます。
(最近は記録は焼却しメモさえ取らないという行政エリートが多いようですが) 
 
したがい記憶と記録はかならずしも同じものではなく異なっていることがよくあるようです。
たとえば関東大震災の火災原因については多くの人の記憶は事実とは違っているようです。 
 
記録文学で名作を著した吉村昭が平成十一年「災害と日本人」と題した講演を行っています。
そのテープが死後に発見されました。その講演の書き起こしが「文芸春秋」平成二十三年七月号に掲載されています。
 
その一部を長文ですがご参考になると思いますので下記いたします。
 
(引用)
 
関東大震災』を書くにあたって、体験者は私の父をはじめ、たくさんおりました。
 
・・・震災後、その当時の一流の学者たちが集まりまして、震災について調査をして膨大な報告書をつくっております。報告書は、今後起きるであろう大震災に対して、こうすべきである、という対策を示したものです。 
 
まず、第一は発火原因です。地震が起きたらすぐ火を消せ、とされています。
それはたしかにそうでしょう。大震災が起きた時は午前十一時五十八分で、ちょうど昼食前ですから、炊事をしていた。
七輪の火とかそういうものが火災の発火原因になったと、父は言っておりました。
これが一番の定説になっております。 
 
しかし、学者たちの調査によると、それはごく一部にすぎない。
てんぷら屋から火事が起きたという一例がありますが、他はすべて、意外なことに薬品の落下なのです。
工場、学校の理科教室、薬品会社、そういうところで地震によって薬品が落ちた。それからの発火が最大の発火原因なのです。 
 
・・・九月一日が震災の日というのでNHKの特別番組に私も呼ばれて行きました。
そこに東京都の災害部長という人が来ていて、その人と話したんですが、とんちんかんなんですね。
「発火原因は何ですか」「それは七輪の火です」
「そのほかにありませんか」「いや、全然ありません」話にならないのです。
その膨大な報告書を東京都の責任者が読んでいない。
それは岩波書店から出ていて、私も持っているのです。そういうものを災害の部長が一切読んでいない。
 
(引用終わり)
 
直接体験した(積極的)記憶、そして伝聞や噂という(消極的)記憶とは相性が良いようでどうも混乱しやすいもののようです。
その結果として事実とは異なる歴史が形成されることにもなりかねません。
震災の記録などの本を読むときは記憶の話なのか記録なのか、はっきりと理解しておくべきだと思います。
 
 

日本エンカ論。


 演歌の北島三郎都はるみ

艶歌はちあきなおみ美空ひばり

援歌の水前寺清子、村田英雄。

縁歌は三波春夫千昌夫

遠歌の春日八郎、井沢八郎

怨歌は梶芽衣子そして恨歌は藤圭子だった。

民主主義と資本主義、閉塞の原因は何か。

「自由と平等」は民主主義と資本主義の根幹をなす主要な共通理念だと思われます。

しかし自由と平等とはそもそも併存しうる理念なのでしょうか。

 

中国など一部の国を除き世界の国々では資本主義と民主主義を共存させ国家運営の駆動力として社会の近代化を図るとともに経済的な発展を遂げてきたといえます。

多くの実績が示すところ資本主義と民主主義とはイデオロギーの親和性が高いもののようです。

その観点からするといまアジアの多くの国では資本主義と民主主義のハネムーンにあるように思えます。

しかしハネムーンが遠い過去のものになったのは先進資本主義国です。

そこでは久しく倦怠期に陥り貧富二層は別居状態で経済格差の拡大化と思考の分断化を招いています。

格差拡大の原因の一つに挙げられているのが新自由主義の極限化ともいうべきハイパーグローバリズムです。

国境を越えた世界的規模での経済活動の極度の自由化が格差を拡大しているというのです。

たしかに自由な経済活動の結果は平等ではなくかえって格差が大きいほど経済的効果(利益と顧客満足度)も大きいといえます。

つまり拡大化した自由は経済的権力者への富の集中を助長する一方でかっての中流層さえも相対的な貧困層へと差別を広げつつあるのです。

 

人は生まれながらにして平等である、といいますが生物学的には人はだれもが

わずかに異なる遺伝子を持っており誕生の瞬間から異なる環境にさらされることになります。

したがい「生まれた時から平等ではない」格差があるということが真実なのです。

このことは先験的に誰もがわかっていながら否定することができない。

天は人の上に人を造らず・・・なぜ倫理的な響きを持つのでしょうか。

人の心の中にあるルサンチマンのなせる仕業でしょうか。

 

しかし格差があるから人はその解消や超越に自由な思考と行動で挑戦するのです。

格差と自由は進歩の要因であるともいえます。

いっぽう平等というものは、自由に考えて行動することさえも抑制しかねません。

極言すれば自由なきところに進歩はなく平等は進歩の阻害要因ということでしょうか。

このように自由と平等は相反する矛盾した理念であります。

それを承知でなんとか個人も国家もなだめすかして共存させてきたのではないでしょうか。

二つの理念がないと民主主義も資本主義もレーゾンデートルがなくなりそうな不安がそうさせたのでしょうか。

しかしもはや共存は不可能だ、という告白を感情的に反映させているのが刹那主義的なポピュリズムであり論理的に訴えているのは自由と平等の整合性と倫理化に異を唱える反知性主義ではないかと思います。

 

問題を整理すると民主主義と資本主義はイデオロギーの相性が良いが自由と平等は理念の並立すら難しい。

グローバリゼーションのトリレンマならぬ民主主義のテトラレンマの問題です。

共存が困難なふたつの理念に基盤をおく民主主義と資本主義。

ここに民主主義と資本主義が直面している限界性や閉塞感の根源的な原因があるのではないでしょうか。

 

サザエさんと演歌の花道

日曜日の午後はいつも憂鬱な気持ちになった。夕暮れ時になると近隣のTVからサザエさんのテーマソンが華やかに聞こえてくる。すると月曜からはじまる暗澹たる仕事と今の茶の間の明るさとに大きな落差を感じた。日曜の夜があけると一転する己の境遇を嘆かざるをえないのだった。気の進まぬ夕食をすませやがて夜の帷が降りると周囲が静寂さを取り戻す。私は安酒を手にしてTVの前に陣取るのだった。ボリュームを絞ったTVからは心待ちにした来宮良子のナレーションがいつものように流れだす。

「浮世舞台の花道は  表もあれば裏もある 

 花と咲く身に歌あれば  咲かぬ花にも唄ひとつ・・・」
それは非日常から日常へと反転する時の流れに身を任せ人生の深淵にいざなう御詠歌を聞くにも似たものだった。
私は盃を傾け、咲かぬ花にも唄ひとつ…瞼を閉じて明日をおもうのだった。