bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

緊急事態宣言と民主主義

首都圏に続いて大阪、京都、兵庫が緊急事態宣言の対象になり、さらに追加される自治体が出てきそうです。しかし政府は緊急事態宣言の対象地域を全国に拡大することには否定的な見解を示しています。その理由は、私的制約を最小限にするのが本宣言の本来の主旨だからとしています。
たしかに私的制約というものは自由の制約につながるリスクもあるので政府の言い分も了解できます。
いっぽう対象地域を全国に拡大せずに急速な蔓延を食い止めることができるのか疑問も残ります。

緊急事態宣言により飲食店は営業時間を制限され営業収入が減少してしまいます。そこで政府は収入減の穴埋めを行うとしています。ところが補償額は定額ですから、お店によりこの補償額では採算が合わないところが多々あるようです。お店の規模や収支に関係なく一律の補償額というのは、どうみても公平性を欠きます。
そこで緊急事態宣言は罰則規定がありませんから生き残りを賭けて宣言を無視するお店が出てくるのもやむを得ないとも思えます。

緊急事態宣言により営業上の支障をきたすのは飲食業のみではありません。しかし政府は飲食業以外の業界に対する補償については言及していないようです。

このように緊急事態宣言で露顕した社会的な問題を考察してみますと、

一つは、飲食業各店に対する補償額の平等性、そして飲食業以外の業界に対する対応との不公平さ、いずれも平等性を欠いていると思います。

また強制力のない宣言のためお店の自由意志に依存するしか宣言の有効性は担保されません。
これは公益性を主旨とする行政機関の宣言が持つべき平等性を欠くものといえます。いっぽうでは営業時間の自由性という営業権を配慮したという評価もできます。

私はここに民主主義社会の内包する問題を垣間見るように思います。


民主主義という理念の根幹をなすのは、平等と自由の概念です。しかし、この二つは親和性は高いもののけっして同一性を有するものではなく、時には相反することでその特性を表象するものです。

先に述べた平等性の欠落は私益(自由)が公益(平等)を阻害することになりかねません。いっぽう私的営業権(自由)を考慮すると宣言の公共性(平等)が損傷してしまいます。

どうも今回の政府宣言は平等と自由という概念の必然的衝突を惹起しているように思えます。

換言すると民主主義の根源といえる二つの概念が内包する問題を露顕した政府宣言とも思います。

民主主義国家の緊急事態宣言、その科学的根拠なき有効性はともかくとして、民主主義が内包する本質的な矛盾(平等と自由の相克)を今回はジックリと考える良い機会ではないでしょうか。