bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

憲法記念日に思うこと

憲法記念日に思うことは毎年のように同じことだ。

一つは、我が国は名目だけは独立国家というものの未だ占領下から脱し得ない状態つまり永久敗戦国であるということ。

もう一つは、その状況を変革しない限り、憲法を改正したところで独立国家になるわけではなく単なる自己満足にすぎぬのではないかという疑問である。

そこで独立国家ではない論拠として、憲法にまつわる本質的な問題点と第9条がらみの戦争論を記述する。

 

憲法の実質的上位法、日米地位協定) 

日米地位協定は1960年に締結されたが、その前身は日米行政協定で1952年2月に結ばれている。それは、半年前にサンフランシスコ講和条約が結ばれ日本が名目だけは独立国となったものの敗戦後の錯綜した政治・社会的状況のなか密かに外務省庁舎内で締結されたものだった。その内容は「独立後の日本ではGHQ が在日米軍になり替わった」と解釈できるようなものである。

 

この実態が明確になったのは「砂川事件」*である。

1959年に最高裁が判決放棄をして在日米軍治外法権を認めた判決である。つまり日米地位協定憲法の上位法であることを最高裁が皮肉にも裏書きした判決を下したのである。

*東京都北多摩郡砂川町(現・立川市)にあった在日米軍立川飛行場基地拡張に反対するデモ隊の一部が、米軍基地の境界柵を壊し基地内に数メートル立ち入ったとして、デモ隊のうち7名が日米安全保障条約第三条に基く行政協定(日米地位協定の前身)違反起訴された事件

第一審判決で、東京地方裁判所(裁判長判事・伊達秋雄)は、1959年3月30日、「日本政府アメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違憲である。したがって、刑事特別法の罰則は日本国憲法第31条デュー・プロセス・オブ・ロー規定)に違反する不合理なものである」と判定し、全員無罪の判決を下した(東京地判昭和34.3.30 下級裁判所刑事裁判例集1・3・776)。

(筆者注)憲法第31条「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」

これに対し、検察側は直ちに最高裁判所跳躍上告した

最高裁判所判決 大法廷、裁判長・田中耕太郎長官)は、1959年12月16日、「憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」(統治行為論)として原判決を破棄し地裁に差し戻した(最高裁大法廷判決昭和34.12.16 最高裁判所刑事判例集13・13・3225)

この差戻し判決に基づき再度審理を行った東京地裁(裁判長・岸盛一)は1961年3月27日、罰金2,000円の有罪判決を言い渡た。この判決につき上告を受けた最高裁1963年12月7日、上告棄却を決定し、この有罪判決が確定した。

 

最高裁判決の背景)

機密指定を解除されたアメリカ側公文書を日本側の研究者やジャーナリストが分析したことにより、2008年から2013年にかけて新たな事実が次々に判明している。

まず、東京地裁の「米軍駐留は憲法違反」との判決を受けて当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が、同判決の破棄を狙って外務大臣藤山愛一郎最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけたり、最高裁長官・田中と密談したりするなどの介入を行なっていた。跳躍上告を促したのは、通常の控訴では訴訟が長引き、1960年に予定されていた条約改定(日米の安全保障条約から相互協力及び安全保障条約へ)に反対する社会党などの「非武装中立を唱える左翼勢力を益するだけ」という理由からだった。そのため、1959年中に(米軍合憲の)判決を出させるよう要求したのである。これについて、同事件の元被告人の一人が、日本側における関連情報の開示を最高裁外務省内閣府の3者に対し請求したが、3者はいずれも「記録が残されていない」などとして非開示決定。不服申立に対し外務省は「関連文書」の存在を認め、2010年4月2日、藤山外相とマッカーサー大使が1959年4月におこなった会談についての文書を公開したまた田中自身が、マッカーサー駐日大使と面会した際に「伊達判決は全くの誤り」と一審判決破棄・差し戻しを示唆していたこと、上告審日程やこの結論方針をアメリカ側に漏らしていたことが明らかになった。ジャーナリストの末浪靖司がアメリカ国立公文書記録管理局で公文書分析をして得た結論によれば、この田中判決はジョン・B・ハワード国務長官特別補佐官による“日本国以外によって維持され使用される軍事基地の存在は、日本国憲法第9条の範囲内であって、日本の軍隊または「戦力」の保持にはあたらない”という理論により導き出されたものだという。当該文書によれば、田中は駐日首席公使ウィリアム・レンハートに対し、「結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている」と話したとされ、最高裁大法廷が早期に全員一致で米軍基地の存在を「合憲」とする判決が出ることを望んでいたアメリカ側の意向に沿う発言をした。田中は砂川事件上告審判決において、「かりに…それ(駐留)が違憲であるとしても、とにかく駐留という事実が現に存在する以上は、その事実を尊重し、これに対し適当な保護の途を講ずることは、立法政策上十分是認できる」、あるいは「既定事実を尊重し法的安定性を保つのが法の建前である」との補足意見を述べている古川純専修大学名誉教授は、田中の上記補足意見に対して、「このような現実政治追随的見解は論外」と断じており、また、憲法学者早稲田大学教授の水島朝穂は、判決が既定の方針だったことや日程が漏らされていたことに「司法権の独立を揺るがすもの。ここまで対米追従がされていたかと唖然とする」とコメントしている

 

日米地位協定に基づき日本の官僚と米軍は毎月打ち合わせ協議をおこなっている。主体は日米合同委員会という名前だが、日本側代表は外務省北米局長で防衛大臣でも外務大臣でもない。なんとも不思議に思えるが実は公務員法トリックといわれる憲法第15条が鍵である。これについては長くなるので省く。

 

いまだ敵国条項の対象国である日本

国際連合憲章は1945年10月24日に発効した国際連合の目的を達成するための国際条約だが第53条、第107条には敵国条項(enemy state clause)の規定が存在している。

 

この条項の対象国は第二次大戦中に連合国の敵国であった国すなわち日本、ドイツ、イタリア、ブルガリアハンガリールーマニアフィンランドの7カ国だが日本とドイツを除く5カ国は大戦中に枢軸国側から離脱しており実質的な対象国は日本とドイツである。

 

条項の主旨は、条項対象国が戦争結果の確定事項に違反し侵略行為を再現するような行動等を起こした場合には、国連加盟国や地域安全保障機構は、国連憲章51条に規定された安保理の許可がなくとも当該国に対して軍事制裁を課すことができるとしている。

 

第53条〔強制行動〕  

1.安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の地域的取極又は地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない。もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。

2.本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。

 

第107条〔敵国に関する行動〕

この憲章のいかなる規定も、第二時世界戦争中にこの憲章の署名国の敵であった国(例えば日本)に関する行動でその行動について責任を有する政府(この場合、アメリカ)がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。

(カッコ内注記は筆者)

 

 

憲法とは何か

西洋哲学に基づく法解釈と西洋文化の影響からであろうか、憲法を客体とし国民を主体とする二元論に立脚した論議が主流である。しかし、このような思考法は我が国の国民性からして妥当なものとは思えない。

同胞330万人の屍を乗り越え戦火の廃墟から立ち上がった国民が築き上げた成果が(主客一体化した)新憲法に基づく統治体制と社会の基本秩序でありそれが日本の繁栄と平和をもたらしてきたといえよう。

しかるに、憲法議論となると統治体制と社会の基本秩序を回避して、第9条など特定条項が憲法三原則に優先して論議されるのは本末転倒とも思える。国民国家としてのビジョン無くしてその場しのぎの場当たり的政策を積み重ね結局は国益を失う政局政治論に妄動されてはいけない。

 

憲法を論じその改正を云々するならまず憲法とはいかなるものか、その定義を明確にすることが議論の前提条件であろう。

憲法とはなにものか、それは「社会を成り立たせている基本秩序であり、この秩序に基づき承認された政治権力を支援、監視する機能」であると私は定義したい。

憲法の三原則といわれるのは基本的人権国民主権・平和主義であるが、この三点セットの共通基盤は基本的人権であろう。ということは社会の基本秩序の根拠とは基本的人権になるのであろう。

基本的人権とはなにか、それは「すべての人が生命と自由を確保しそれぞれの幸福を追求する権利、簡単に言うと人間が人間らしく生きる権利のこと」であると定義したい。

この理念について、憲法第97条は次のように謳っている。

「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、

侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」

日本国憲法には《人類の多年にわたる》国家や民族を超えた人々の憲法観と人権思想が

《侵すことのできない永久の権利》として反映されていると思う。

 

基本的人権において主客二元論があり得ぬごとく、私たちは生まれた時から憲法に包まれ主客一体で暮しており、憲法と国民は一元化された生態系として「私たちは日々、憲法を生きている」それが日本人の美徳であり粋でもある「美しい日本」ではないだろうか。それを腕力には腕力などと粋がるのは呆れるほど野暮なことに思えてくる。

 

(戦争とはなにか)

「戦争とは相手方の権力の正統性原理である”憲法”を攻撃目標とする」(ルソー)

日本に対する戦争とは、物理的な核戦争や領土侵略などではなく基本的人権への攻撃そのものである。当然そのような戦争は国際法違反となるだろう。

しかし、ロシアや中国そしてアメリカが国際法国連憲章に違反したとして日本を含む国際社会は何ができるだろうか。

ICC( International Criminal Court、国際刑事裁判所)に違反国の為政者を訴追すべきだが、訴追をしても裁くことは難しいであろう。なぜならロシア、中国そしてアメリカともにICC非加盟国なのだから。

また、国連において上記三か国はいずれも安全保障理事会常任理事国ゆえ自国への

いかなる非難決議案に対しても拒否権を発動して廃案にできる。つまり、いかなる総会決議をしようと法的拘束をかけることは不可能なのである。

 

第二次世界大戦後、アメリカの戦争はロシア同様に他国領土で行われたが、戦争犯罪を問われても不思議でない事例が存在したと思われる。しかし、ICC非加盟国かつ国際連合常任理事国であるアメリカが訴追されたことはなかったと記憶する。それよりもアメリカは人道主義(民主主義)と民族自決主義(孤立主義)を上手に使い分けることで、国際社会の火の粉を避けながら民主主義の旗手として国際社会における覇権の道を歩んできたと思う。

その大きなバックボーンは国際連合第二次世界大戦戦勝国パラダイム)ではないだろうか。ロシアもそして中国も同様だ。国際的な免罪符つまり「法的拘束力の回避特権」を持った戦争ができるのだから。

 

 

日本国憲法施行直後における昭和天皇の行動

敗戦から二年が経過した1947年9月19日、宮内庁御用掛の寺崎英成はシーボルトGHQ外交局長を訪ねて次の昭和天皇の意向を伝えた。いわゆる「沖縄メモ」といわれるもので

次のような内容のものである。