bekiranofuchi’s blog

社会を独自の視点で描いてみたいという男のつぶやき。

憲法記念日に思うこと

憲法記念日に思うことは毎年のように同じことだ。

一つは、我が国は名目だけは独立国家というものの未だ占領下から脱し得ない状態つまり永久敗戦国であるということ。

もう一つは、その状況を変革しない限り、憲法を改正したところで独立国家になるわけではなく単なる自己満足にすぎぬのではないかという疑問である。

そこで独立国家ではない論拠として、憲法にまつわる本質的な問題点と第9条がらみの戦争論を記述する。

 

憲法の実質的上位法、日米地位協定) 

日米地位協定は1960年に締結されたが、その前身は日米行政協定で1952年2月に結ばれている。それは、半年前にサンフランシスコ講和条約が結ばれ日本が名目だけは独立国となったものの敗戦後の錯綜した政治・社会的状況のなか密かに外務省庁舎内で締結されたものだった。その内容は「独立後の日本ではGHQ が在日米軍になり替わった」と解釈できるようなものである。

 

この実態が明確になったのは「砂川事件」*である。

1959年に最高裁が判決放棄をして在日米軍治外法権を認めた判決である。つまり日米地位協定憲法の上位法であることを最高裁が皮肉にも裏書きした判決を下したのである。

*東京都北多摩郡砂川町(現・立川市)にあった在日米軍立川飛行場基地拡張に反対するデモ隊の一部が、米軍基地の境界柵を壊し基地内に数メートル立ち入ったとして、デモ隊のうち7名が日米安全保障条約第三条に基く行政協定(日米地位協定の前身)違反起訴された事件

第一審判決で、東京地方裁判所(裁判長判事・伊達秋雄)は、1959年3月30日、「日本政府アメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違憲である。したがって、刑事特別法の罰則は日本国憲法第31条デュー・プロセス・オブ・ロー規定)に違反する不合理なものである」と判定し、全員無罪の判決を下した(東京地判昭和34.3.30 下級裁判所刑事裁判例集1・3・776)。

(筆者注)憲法第31条「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」

これに対し、検察側は直ちに最高裁判所跳躍上告した

最高裁判所判決 大法廷、裁判長・田中耕太郎長官)は、1959年12月16日、「憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」(統治行為論)として原判決を破棄し地裁に差し戻した(最高裁大法廷判決昭和34.12.16 最高裁判所刑事判例集13・13・3225)

この差戻し判決に基づき再度審理を行った東京地裁(裁判長・岸盛一)は1961年3月27日、罰金2,000円の有罪判決を言い渡た。この判決につき上告を受けた最高裁1963年12月7日、上告棄却を決定し、この有罪判決が確定した。

 

最高裁判決の背景)

機密指定を解除されたアメリカ側公文書を日本側の研究者やジャーナリストが分析したことにより、2008年から2013年にかけて新たな事実が次々に判明している。

まず、東京地裁の「米軍駐留は憲法違反」との判決を受けて当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が、同判決の破棄を狙って外務大臣藤山愛一郎最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけたり、最高裁長官・田中と密談したりするなどの介入を行なっていた。跳躍上告を促したのは、通常の控訴では訴訟が長引き、1960年に予定されていた条約改定(日米の安全保障条約から相互協力及び安全保障条約へ)に反対する社会党などの「非武装中立を唱える左翼勢力を益するだけ」という理由からだった。そのため、1959年中に(米軍合憲の)判決を出させるよう要求したのである。これについて、同事件の元被告人の一人が、日本側における関連情報の開示を最高裁外務省内閣府の3者に対し請求したが、3者はいずれも「記録が残されていない」などとして非開示決定。不服申立に対し外務省は「関連文書」の存在を認め、2010年4月2日、藤山外相とマッカーサー大使が1959年4月におこなった会談についての文書を公開したまた田中自身が、マッカーサー駐日大使と面会した際に「伊達判決は全くの誤り」と一審判決破棄・差し戻しを示唆していたこと、上告審日程やこの結論方針をアメリカ側に漏らしていたことが明らかになった。ジャーナリストの末浪靖司がアメリカ国立公文書記録管理局で公文書分析をして得た結論によれば、この田中判決はジョン・B・ハワード国務長官特別補佐官による“日本国以外によって維持され使用される軍事基地の存在は、日本国憲法第9条の範囲内であって、日本の軍隊または「戦力」の保持にはあたらない”という理論により導き出されたものだという。当該文書によれば、田中は駐日首席公使ウィリアム・レンハートに対し、「結審後の評議は、実質的な全員一致を生み出し、世論を揺さぶるもとになる少数意見を回避するやり方で運ばれることを願っている」と話したとされ、最高裁大法廷が早期に全員一致で米軍基地の存在を「合憲」とする判決が出ることを望んでいたアメリカ側の意向に沿う発言をした。田中は砂川事件上告審判決において、「かりに…それ(駐留)が違憲であるとしても、とにかく駐留という事実が現に存在する以上は、その事実を尊重し、これに対し適当な保護の途を講ずることは、立法政策上十分是認できる」、あるいは「既定事実を尊重し法的安定性を保つのが法の建前である」との補足意見を述べている古川純専修大学名誉教授は、田中の上記補足意見に対して、「このような現実政治追随的見解は論外」と断じており、また、憲法学者早稲田大学教授の水島朝穂は、判決が既定の方針だったことや日程が漏らされていたことに「司法権の独立を揺るがすもの。ここまで対米追従がされていたかと唖然とする」とコメントしている

 

日米地位協定に基づき日本の官僚と米軍は毎月打ち合わせ協議をおこなっている。主体は日米合同委員会という名前だが、日本側代表は外務省北米局長で防衛大臣でも外務大臣でもない。なんとも不思議に思えるが実は公務員法トリックといわれる憲法第15条が鍵である。これについては長くなるので省く。

 

いまだ敵国条項の対象国である日本

国際連合憲章は1945年10月24日に発効した国際連合の目的を達成するための国際条約だが第53条、第107条には敵国条項(enemy state clause)の規定が存在している。

 

この条項の対象国は第二次大戦中に連合国の敵国であった国すなわち日本、ドイツ、イタリア、ブルガリアハンガリールーマニアフィンランドの7カ国だが日本とドイツを除く5カ国は大戦中に枢軸国側から離脱しており実質的な対象国は日本とドイツである。

 

条項の主旨は、条項対象国が戦争結果の確定事項に違反し侵略行為を再現するような行動等を起こした場合には、国連加盟国や地域安全保障機構は、国連憲章51条に規定された安保理の許可がなくとも当該国に対して軍事制裁を課すことができるとしている。

 

第53条〔強制行動〕  

1.安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の地域的取極又は地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない。もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。

2.本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。

 

第107条〔敵国に関する行動〕

この憲章のいかなる規定も、第二時世界戦争中にこの憲章の署名国の敵であった国(例えば日本)に関する行動でその行動について責任を有する政府(この場合、アメリカ)がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。

(カッコ内注記は筆者)

 

 

憲法とは何か

西洋哲学に基づく法解釈と西洋文化の影響からであろうか、憲法を客体とし国民を主体とする二元論に立脚した論議が主流である。しかし、このような思考法は我が国の国民性からして妥当なものとは思えない。

同胞330万人の屍を乗り越え戦火の廃墟から立ち上がった国民が築き上げた成果が(主客一体化した)新憲法に基づく統治体制と社会の基本秩序でありそれが日本の繁栄と平和をもたらしてきたといえよう。

しかるに、憲法議論となると統治体制と社会の基本秩序を回避して、第9条など特定条項が憲法三原則に優先して論議されるのは本末転倒とも思える。国民国家としてのビジョン無くしてその場しのぎの場当たり的政策を積み重ね結局は国益を失う政局政治論に妄動されてはいけない。

 

憲法を論じその改正を云々するならまず憲法とはいかなるものか、その定義を明確にすることが議論の前提条件であろう。

憲法とはなにものか、それは「社会を成り立たせている基本秩序であり、この秩序に基づき承認された政治権力を支援、監視する機能」であると私は定義したい。

憲法の三原則といわれるのは基本的人権国民主権・平和主義であるが、この三点セットの共通基盤は基本的人権であろう。ということは社会の基本秩序の根拠とは基本的人権になるのであろう。

基本的人権とはなにか、それは「すべての人が生命と自由を確保しそれぞれの幸福を追求する権利、簡単に言うと人間が人間らしく生きる権利のこと」であると定義したい。

この理念について、憲法第97条は次のように謳っている。

「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、

侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」

日本国憲法には《人類の多年にわたる》国家や民族を超えた人々の憲法観と人権思想が

《侵すことのできない永久の権利》として反映されていると思う。

 

基本的人権において主客二元論があり得ぬごとく、私たちは生まれた時から憲法に包まれ主客一体で暮しており、憲法と国民は一元化された生態系として「私たちは日々、憲法を生きている」それが日本人の美徳であり粋でもある「美しい日本」ではないだろうか。それを腕力には腕力などと粋がるのは呆れるほど野暮なことに思えてくる。

 

(戦争とはなにか)

「戦争とは相手方の権力の正統性原理である”憲法”を攻撃目標とする」(ルソー)

日本に対する戦争とは、物理的な核戦争や領土侵略などではなく基本的人権への攻撃そのものである。当然そのような戦争は国際法違反となるだろう。

しかし、ロシアや中国そしてアメリカが国際法国連憲章に違反したとして日本を含む国際社会は何ができるだろうか。

ICC( International Criminal Court、国際刑事裁判所)に違反国の為政者を訴追すべきだが、訴追をしても裁くことは難しいであろう。なぜならロシア、中国そしてアメリカともにICC非加盟国なのだから。

また、国連において上記三か国はいずれも安全保障理事会常任理事国ゆえ自国への

いかなる非難決議案に対しても拒否権を発動して廃案にできる。つまり、いかなる総会決議をしようと法的拘束をかけることは不可能なのである。

 

第二次世界大戦後、アメリカの戦争はロシア同様に他国領土で行われたが、戦争犯罪を問われても不思議でない事例が存在したと思われる。しかし、ICC非加盟国かつ国際連合常任理事国であるアメリカが訴追されたことはなかったと記憶する。それよりもアメリカは人道主義(民主主義)と民族自決主義(孤立主義)を上手に使い分けることで、国際社会の火の粉を避けながら民主主義の旗手として国際社会における覇権の道を歩んできたと思う。

その大きなバックボーンは国際連合第二次世界大戦戦勝国パラダイム)ではないだろうか。ロシアもそして中国も同様だ。国際的な免罪符つまり「法的拘束力の回避特権」を持った戦争ができるのだから。

 

 

日本国憲法施行直後における昭和天皇の行動

敗戦から二年が経過した1947年9月19日、宮内庁御用掛の寺崎英成はシーボルトGHQ外交局長を訪ねて次の昭和天皇の意向を伝えた。いわゆる「沖縄メモ」といわれるもので

次のような内容のものである。

沖縄復帰50年で思うこと

戦前からこの国の指導者は沖縄に冷酷だ。
日米戦の敗色が濃厚になると指導者は、一億火の玉本土決戦、と国民を叱咤激励した。しかし本土決戦を実行したのは一億国民のうち沖縄県民のみだ。そして世界の戦史上類例を見ない軍人と同数に達する沖縄民間人の命(県民の1/4の9万4千人)が失われた。

沖縄玉砕の前夜、沖縄の海軍陸戦隊司令官大田実少将は、沖縄県民の悲惨な奮闘を讃え海軍次官あてに次のように打電した。
「謂フ 沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

ところが指導者たちは本土決戦に身を晒すことなく玉砕などどこ吹く風と手のひらを反すように無条件降伏してしまった。

敗戦から二年が経過した1947年9月19日、宮内庁御用掛の寺崎英成はシーボルトGHQ外交局長を訪ねて次の天皇の意向を伝えた。「天皇は、25年から50年あるいはそれ以上にわたる長期の貸与というフィクションのもとで、アメリカが沖縄を含む琉球の他の島を軍事占領しつづけることを希望している。天皇の意見によると、その占領はアメリカの利益になるし、日本を守ることになる。」シーボルトはこの内容をまとめ9月20日付で連合国最高司令官、22日付で国務長官に報告(この写しは沖縄県公文書館に展示されていたが数年前に展示を止めたと聞く。しかしネットで公開されている)

沖縄は戦争末期の沖縄戦に続いてまたも国体護持のため本土の代わりに犠牲となったのである。

余談だが「沖縄メモ」と朝鮮戦争勃発の翌日1950年6月26日、帰国直前の大統領特使
ダレスに伝えられた「天皇メッセージ」*
この2件は新憲法下で違憲の疑念が残る昭和天皇の行為であり、かつ政府や外交当局をバイパスしたもので二重外交と日本が揶揄されかねないものであろう。
*「講和条約とりわけその詳細な取り決めに関する最終的な行動がとられる以前に日本国民を真に代表し永続的で両国の利害にかなう講和問題の決着に向けて真の援助をもたらすことができるそのような日本人による何らかの形態の諮問会議が設置されるべきであろう」


あえて極論すれば戦後日本の基本的な外交の枠組み(対米追従構造)は国体護持の達人で現実主義者の昭和天皇が築いたともいえよう。すなわちそれは菊から星条旗の国体への道である。

沖縄復帰から50年経過するもいまだ国民に向けてとりわけ沖縄県民に対して政府から敗戦にかんする謝罪の一言すらない。
この国の指導層はひたすら米国への従属を担保にして自己保身と私利拡大を図っている。
ビジョンなき永久敗戦国日本。その姿が象徴的に凝縮されているのが沖縄だ。

亡き翁長沖縄知事は、国土の0.6%を占める沖縄に駐留米軍基地の70%が存在し、憲法の実態的上位法といえる日米地位協定により米軍基地占領下のごとき人民主権不在の沖縄の状況を改善すべく政府に請願し続けた。しかし政府は冷たかった。癌闘病中にもかかわらず上京した翁長知事に当時の首相は面談することさえ拒否した。マスコミも大多数の日本国民も沖縄には無関心であった。いまだけここだけ自分さえ良ければ同胞の惨状などどうであろうと構わぬということか、日本国民として何とも嘆かわしい限りだ。
日本国と国民統合の象徴たる平成天皇は皇太子時代を含め計11回にわたり沖縄慰霊のご訪問をなされているというのに何たる有り様か。

マスコミは北朝鮮ミサイル、台湾有事やウクライナ侵攻と競って海外メディアの垂れ流し、政治はアメリカ政治の受け売りの惨事便乗型政治、国民は海外メディアとアメリカ政治に乗せられ空虚な擬制国家への不安から官制の愛国心をかき立てる。これは喜劇なのかそれとも悲劇なのか。

 

崩壊する民主主義

そもそも民主主義とは、市民が自由選挙で選出した代表を通じて市民としての権利を行使しかつ責任を負う統治形態というものだが、

いくら美辞麗句を並べようと所詮は数の論理による統治形態である。

統治者と被治者である市民との間を媒介するのが選挙で選ばれた代表者であり、代表者は市民の意見を代表して国会に参加する。

国会では各代表者は自己の意見を通す為に同様の意見を有する代表者と徒党を組んで政党を結成する。国会では政党は意見を貫徹するためには多数派となる必要がある。

市民の意見や権利は政党を通じて実現されるというが、これは多数派の政党に関しての話であり少数派はときどきおこぼれにあずかるだけである。

これで何とか日本は回ってきた。

 

ところが、いまや市民権利を代表する政党の機能は衰えて消失してしまっていることが大きな問題である。

なぜなら、グローバリズムとデジタル化により社会が液状化してしまい政党は社会の輪郭と特徴を把握したコミュニテイのセグメンテーションができなくなったからである。

増加する一方のサイバーコミュニテイなどカオス化した個の見えざる集合体であり、市民像をイメージすることさえできない。

その結果として社会と政治との接点という機能を政党が果たせなくなっているからである。

したがい、国会が法律の発議や起草をする場ではなくなり、主要な機能は与党は多数決で政府を支持し野党は政府の座を奪おうと非難に傾注する、ということになっている。

その行く着く先は、次のようなことになる。

与党は権力者に継続的な正当性を付与するだけの目的で戦い、野党は権力者の失墜を準部する。

つまるところ、政党は市民の主張を統治者に対して代表することよりも、統治者の主張を市民たちに代表することになっているのである。

このような民主主義のファッショ化、専制化は今にはじまったことではなくヴァイマール憲法下のドイツ以来、民主主義の不治の病といえよう。

この解決策として、フランスをはじめとして幾多の諸国が統治者を別に選出する大統領制に切り替えているのであろう。(アメリカの大統領制は経緯が異なる)

日本が欧米諸国に遅ればせながら民主主義の危機に至ったのはなぜか。

それは戦後日本の優秀な官僚が作り出した中間層が復興経済のおこぼれに等しくあずかり自由の幻想に浸れ弥縫策でも民主主義がもってきたからであると思う。

民主国家と強権国家

国際情勢を論じる際に民主国家と強権国家という二項対比を前提とした議論が盛んです。しかし私はどうも気になって仕方ありません。二項対比は是非を論じるに容易な手段ではあります。しかし、ふたつの陣営を比較する前にまず「国家」とは何か、その本質を明確にすることが重要だと思います。

わたしは民主、強権いずれの国家もその本質は「国民国家」であると思います。
国民国家とは何か、わたしは次のように考えます。

"ほとんど人為的にすぎない国境や不可逆な民族(フィジカルな)を物理的基礎に置きつつ、
観念としての国民というフィクション(メンタルな)を精神的依拠とし強制的に
同化と統合を図ることで成立する形態″

したがい民主、強権や専制など国家という言葉に前置された形容詞の意味するものは政治社会形態の違いであると思います。
フィジカルとメンタルを強制的に同化させた国民国家とは生来の統合失調症といえます。そんな宿命を背負った国民国家は、
国内外で様々な矛盾や差別を噴出させ、フィジカルとメンタルの相克を図ってきました。しかし相剋不能の表層的妥結への正当化と拒絶
を繰り返し思想的葛藤と政治的競合は混迷と劣化来たしてきたと考えます。
「民主国家と強権国家の議論とは」
国民国家という本質には言及せず、"いまここだけの状況"論から民主と強権との
ラベル張りをしているにすぎないのではないでしょうか。

追記)
このような国民国家とは被動的国民がメジャーであり、
主動的国民がメジャーたるべき主権国民国家というものを目指すべきであります。
主権国民国家はいまだ形成途上にあり、他国民との文化・伝統の差異性を理解し承認することで排他性に拠らない自己確立を遂げつつ、同時に国家としての同質性(ジェンダーなど多様性の容認と平等性の担保など)の認知を国際的に求めなければならないという、これまた矛盾した要請にさらされている状況と思います。

 

惨事便乗

1.惨事便乗とは。

「人の弱みにつけこむ」という昔からの言葉がある。

これはひとと人との関係における私的な脅迫や略奪行為である。

近頃は、国民や世界社会を対象にして権力が「窮状に便乗して利得を得る」という公的搾取いわゆる惨事便乗型の政治や経済が国内外で注目されているようだ。

2007年に出版されたナオミ・クラインの「The Shock Doctrine」という本があるがこの書物に起因するのではないかと思う。

同書は、”9.11”からイラク戦争に至るまで、ショック・ドクトリンがどのように働いたかを分析してみせた。国防省の民営化をはかるラムズフェルド国防長官は、2001年9月10日(9.11の前日)国防総省の官僚を指して「執拗な敵がいる」と発言。9.11以降は今までのナラティヴが通用しない政治家と社会の座標軸を見失った人々を対象にして、文明の衝突悪の枢軸論をぶつけて衝撃を与えるや間髪おかず2002年11月には国土安全保障省(Department of Homeland Security)を設立。テロとの戦いは先制攻撃(preemitive      

strike)にありとして、民間セキュリティ産業や戦争請負会社などに積極投資をおこない2001年からの戦費は年間7千億ドルと一挙に倍増した。大発展したセキュリティ、軍需産業は戦争という惨事に対するビジネスとしての戦争という「惨事便乗型資本主義」(disaster capitalism)の先導者となった。その後アフガン戦争、タリバン崩壊による社会混乱、グアンタナモ基地での人権侵害などアメリカの対外活動を総してチョムスキーは三つのショック戦術(戦争、経済、弾圧)と総括、アメリカこそがテロリストであり「ならずもの国家」と評した。

ナオミ・クラインはショックとはいずれは消え去るもの、重要なのは自分に起こったことを知ることだという。また人は守ってやると約束する指導者に従いがちだと指摘する。

 

2.ロシアのウクライナ侵攻にみる惨事便乗型の政治、経済そしてマスコミ。

国内のTVニュースはウクライナ侵攻の報道オンパレードの感がある。

当初は西側メデイァの情報を垂れ流すだけであったが、最近では日本から報道陣をウクライナ現地に派遣しての報道が目に付くようになってきた。

しかし、ウクライナ侵攻が連日TVのトップ・ニュースなのかと疑問に感じていた、そんなとき「知床半島沖の観光船遭難」と「不明女児と類似の靴発見」という悲惨な情報が飛び込んできた。すると早速この報道がTVニュースのトップになっている。

ウクライナ侵攻とともに国民の感情に訴える悲惨な事故ではあるものの、2か月の長きにわたりTVのトップ・ニュースが惨事報道ばかりなのか大いに疑問に思う。

 

日本政府はウクライナ侵攻を世界最大の危機であり、わが国防体制への警鐘だとして防衛力の強化(防衛費の増額)さらには念願の憲法改正へと向けてウクライナ惨事に便乗した政治戦術と世論喚起の活動を活発化させている。

またウクライナの惨状をTVやSNSで目にした国民はあまりの悲惨さにプーチン憎し一色である。こんな国民感情を取り込んで岸田首相は北方領土問題をかなぐり捨て強硬一点張りのロシア政策を打ち出し内閣支持率の上昇へとつなげた。

アメリカではウクライナ支援に供する軍事兵器の生産がフル稼働しても間に合わないと噂されているという。ウクライナ支援のためアメリカ議会は3月に136億ドルの予算を可決したが、先日バイデン大統領は支援強化のためさらに330億ドルの追加予算の承認を議会に求めた。民主主義の旗手アメリカの人道主義を称賛する声がある一方でウクライナを捨て石にしたアメリカの惨事便乗資本主義だという説もあるようだ。ウクライナを舞台に戦争が長期化するほど、プーチンを世界の悪者にしてアメリカの相対的な地位を高めつつ実戦でアメリカ製兵器の優秀性が世界中に報道される。惨事に怯える各国から商談が舞い込むこと間違いないのかもじれない。まさに一石二鳥の惨事便乗型資本主義である。

 

3.なぜ惨事便乗はかくも容易に人を掌握できるのだろうか。

オレオレ詐欺」にみられる惨事によるショックで、「今ここ状態に陥り感情に流されてしまう」いわゆる「今ここ効果」(here and now effect)の罠に人は陥るのではないだろうか。

今ここは、多くの場合にその時点でしか通用しないのに恒常的または普遍的な事態と思い込んでしまう。それは、ショックにより感情と理性・知性が相互補完のバランスを失い不寛容には不寛容(目には目を)になってしまうからだと思える。

 

追記)

 台湾有事やロシアのウクライナ侵攻など国民の不安に乗ずるかのごとき政府が主導する国防強化と防衛費増額論そして改憲論議

これらも惨事便乗型政治の類と警戒してかかるべきであろう。

ウクライナ侵攻で得をするのは誰か?

 

(先月の記事「アメリカはなぜウクライナを軍事支援しないか」の続き)

 

今年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻は短期間のうちにロシア勝利に終わるだろうと私は思っていた。しかし予想に反してウクライナは強力な軍備を布いて反撃し侵攻後2か月を経過したが戦況は膠着状態だ。

 

 私の予想はなぜ大きく違ったのか軍事の素人ながらも考えてみた。

連日TV画面に流れるウクライナの戦闘シーンを見ていて思い浮かんだのは、2ヶ月も続くこの戦争で最も得をするのは誰なのかということだった。

 

まずロシアについて考える。

ロシアが軍事侵攻によりウクライナ領土を手に入れるメリットはどこにあるのだろうか。

ウクライナが誇る(価値)のは西欧の穀倉といわれる広大な穀物地帯であろう。しかし現在の領土でさえその人口に比べて不釣り合いに大きすぎるロシアである。さらに領土を拡大し民主主義の洗礼を浴びた他民族を取り込んでは統治の困難さが増すだけだ。さらにNATOと国境を接することになる。情報技術が進化した現代、隣接地から(への)情報や人の流れを完全に閉鎖するのは容易でない。非ロシア的な西欧思想・文化の流入や自国の優秀な人材の流出など社会・経済的リスクが増大して結局はソ連の崩壊と同じように内部崩壊の歴史を繰り返すことになりかねない。

世界の穀物輸出の30%近くを占めるウクライナの穀倉地帯はたしかに魅力的である。だからといってウクライナの国土を獲得する必然性はない。種まきから収穫までウクライナが汗を流し、その成果物を手に入れれば良い話である。ウクライナ領土を手に入れ世界への穀物輸出をコントロールできるかというとそうはいかない。ロシアへの経済制裁が強化されると中国、インドに安値で供給せざるを得ないだろう。さらに穀物輸出の世界シェア40%を占めるアメリカは、畜産飼料の穀物離れ(地球温暖化,GX)により国内需要が減少していくだろう。そうなるとアメリカの輸出攻勢に晒されロシアは厳しい状況に追い込まれる。。

結局、ロシアはウクライナ国土を自国の領土にしてもあまりメリットはなさそうだ。

 

ウクライナ侵攻によりロシアが欲しているのはウクライナの領土そのものではなく、ウクライナNATO加盟を阻止すること、つまりウクライナを「NATOとロシアを物理的に隔絶する緩衝地帯(バッファ国家)とする」ことではなかろうか。とすればロシアはウクライナ全土を占拠することが目的ではない。とすれば一度振り上げた拳を納めるには停戦の仲介役が必要だ。

 

停戦の仲介役として地政学的にはロシアとも近い関係にあるトルコが適任かもしれぬがやはり役不足。衰えたとはいえアメリカが最適任なのだろう。

 

そこでアメリカの動きに目を向けよう。

メディアから流れくる映像はウクライナの悲惨な状況とアメリカ製兵器の威力を見せつける戦闘場面が連日のごとく放映されている。そこでこんなストーリーを考える。

アメリカはウクライナに兵器の供給をするだけで後はウクライナ軍がその兵器を駆使してロシアと勇猛果敢に戦闘を繰り返す。その様子は西欧はじめ各国のメディアが無料で世界に向けて伝播してくれる。すると実戦でアメリカ製兵器の実効性デモンストレーションを見た各国の軍事関係者はアメリカにその兵器を注文する。アメリカの軍事産業は潤いトリクルダウンでIT関連産業など先端技術開発に寄与する。なんのことはないアメリカのシナリオに沿ったアメリカ丸儲けの戦争ではないのか。とすれば、この戦争はしばらく継続してもらったほうがアメリカの国益になる。アメリカは早々にウクライナへの派兵を否定し武力によるロシアのウクライナ侵攻阻止という選択肢を捨てていた。その代替手段として。経済制裁を科すと宣言、そしてアメリカに先導された民主主義諸国が厳しい経済制裁をロシアに科している。このロシアへの経済制裁が継続するとどうなるか。ロシア産LNGや石油に対するエネルギー依存度の高いEUとりわけドイツ経済を痛撃するだろう。いっぽうアメリカは自国のLNGをドイツ、EUに売り込める可能性が出てくる。また政治の場ではドイツを抑えEUにおけるアメリカの相対的なプレゼンスの向上に資することだろう。

 

こう考えてくるとウクライナ侵攻の結果、もっとも得をするのはアメリカだろうと思えてくる。ひょっとするとクリミア併合以降から仕組んでいたシナリオかとも思えてくる。

 

ではウクライナはどうなのか。

 私がウクライナ・ロシア問題を現実として知ったのは、2014年3月18日のロシアによるクリミア併合だった。ところがクリミア併合直前の2月22日ウクライナでは「ユーロマイダン革命」と呼ばれる親EU派のクーデターが発生し親ロシア政権は打倒されている。クリミア併合にロシアが乗り出したのはおそらくこのクーデターに起因するのではないだろうか。

 

とすると、ここで大きな疑問がわいてくる。

当時を思い起こすとEUそしてアメリカの態度はなんともクリミア併合について素っ気ない気がした。他国に戦火が起こると、ここぞとばかり乗り出すアメリカが不思議なほどおとなしかった。民主主義陣営のリーダーを自認するアメリカとEUは当然のごとくウクライナの親EU派を支援してクリミア奪回を推進すると思っていたが、期待外れに終わった。

 

アメリカとEUがロシアのクリミア併合に対して大きな反撃もせず看過したのは何故だろうか。

理由の一つとして考えられることは、

クーデターそのものがウクライナ国民にあまり(半数程度らしい)支持を得ていなかったことだろう。その理由はソ連から独立した直後の混乱からウクライナは民主主義国家への道を遅々として歩んでいたが経済的行き詰まりなどから親EU的であったヤヌコーヴィチ大統領が一転してロシアへの急接近を図った。この変節を裏切り行為とみなして民衆が反発、蜂起した。この結果起きたのがユーロマイダン革命と呼ばれるクーデターである。このクーデターはウクライナを分割させた。なぜならユーロマイダン革命は民主主義社会への追及を掲げながら非民主主義的な暴力的手段によって政権を転覆してしまったのだ、革命ではなくクーデターだったとする国民が半数近くに達したといわれる。

 

さらに次のような背景が分断を加速化したと思われる。ウクライナ西部はユニエイト信徒のウクライナ人、中部はギリシア正教ウクライナ人、東部はロシア系住民という異なる宗教と三つの住民集団により構成された国家であり、独立後その調和と統合に営々と努力してきたエリート層の落胆はおおきかったと思われる。一説にはクーデター後ウクライナ国民の15%が海外に亡命したといわれる。亡命した多くは中高年の技術者、高学歴者そして20代の若者という国家にとって最も重要な人たちだったといわれる。余談だが西部ウクライナはかつてナチスドイツの占領下にあり極右勢力がいまだ根を張っておりユーロマイダン革命を主導したとされる。それゆえプーチン大統領はネオナチという言葉を時に発するのだろう。

 

理由の二つ目は、ドイツ統一の決まった1990年アメリカのベーカー国務長官ソ連ゴルバチョフ書記長に対して「NATOを東方へは一インチたりとも拡大しない」と伝え、さらに翌日には西独のコール首相が「NATOはその活動範囲を広げるべきでないと考える」と伝えているという事実があったようだ。ところが1999年にポーランドハンガリーチェコが、2004年にはルーマニアブルガリアスロバキアスロベニアエストニアラトビアリトアニアが雪崩を打ってNATOに加盟したのである。これは歴史上に類例をみない武力行使なき版図拡大である。このNATOの版図拡張はロシアにとり大きな衝撃であったと思われる。アメリカとEUは、「NATOは東方に拡大しない」と言う約束を一方的に破ったからだ。ロシアはアメリカに抗議するも外交上の口約束lip serviceにすぎぬと一蹴されたという話もあるようだ。こんな話がもし事実だとすれば、おそらくアメリカもEUも罪悪感というより後ろめたさfeel guiltyからロシアのクリミア併合に関して強硬な態度には出られなかったのではないだろうか。

 

クリミア併合に対するアメリカそしてEUの予想外の反応(強い抵抗がない)をみてロシアはアメリカとEUに関する情勢判断が甘くなったのだろう。そのため安易にウクライナ侵攻を計画したのではないだろうか。ところがロシアのウクライナ侵攻を予測してアメリカは4-5年前からイギリスとともに軍事顧問団をウクライナに派遣、ウクライナ軍への軍事教育訓練をおこなっていたといわれる。このため罠にはまったロシアはウクライナ軍の意外な抵抗に遭遇し侵攻作戦は困難を極めているのだろう。

 

私の憶測からすると、アメリカはウクライナへの武器供与や資金援助を積極的におこなうものの停戦の口利きなど行わないだろう。EUがエネルギー欠乏の惨状を来しアメリカ産LNGを言い値で購入せざるを得ない日がやがて来るだろう。

ロシアもドイツも疲弊して美味しい果実が実るまでアメリカは静観を続けるだろう。

いや、ウクライナ作戦がうまくいったので、ひょっとすると「〇〇有事」病の日本を第二のウクライナにすべくシナリオ作りに取り掛かっているかもしれない。

 

 

 

 

(この論考の背景)

ウクライナ問題について詳しいジョン・ミアシャイマーシカゴ大学教授が2014年9月にフォーリン・アフェアーズ誌に寄稿した論文(「Why the Ukraine Crisis Is the West's Fault」)を読み返してみました。同教授が8年前に警鐘を鳴らした通りの事態が2022年2月に起きたのです。そのポイントを紹介しましょう。

ウクライナ危機の直接的な原因は、欧米がNATOの東方への拡大策をとり、ウクライナを欧米世界に取り込もうとしたことにある。欧米は、ロシアと国境を接するウクライナを欧米圏に組み込もうと試み、大きな失敗を犯した。今後も間違った政策を続ければ、さらに深刻な結末に直面することになる。

米国は1990年代半ば以降、NATOの東方拡大策をとり始めた。2008年にブッシュ政権グルジアウクライナの加盟も検討し始めたが、フランスとドイツは「不必要にロシアを挑発することになる」と警戒して、これに反対した。しかしNATOは「これらの国はいずれメンバーになる」という声明を発表した。

これに対しプーチン大統領は、「グルジアウクライナNATOに加盟すれば、ロシアに対する直接的脅威になる」と表明した。2008年8月のロシアのグルジア侵攻は、グルジアウクライナNATO加盟阻止にプーチンが本気であることを立証した。

しかしNATOは2009年にアルバニアクロアチアをメンバーに迎え入れて拡大策を続けた。EUも東方拡大路線をとった。2014年2月にウクライナのヤヌコビッチ政権が崩壊したとき、ロシアの外相が「EUは東欧に勢力圏を作ろうとしている」と激しく批判したのも無理はない。

米国は、ウクライナに欧米の価値観を浸透させ、民主化を促進させようとした。これに対しプーチン大統領は、ウクライナとの国境に大規模なロシア軍を配備し、軍事介入も辞さない姿勢をみせた。ウクライナはロシアにとって戦略的に重要なバッファー国家なのだ。現在の政策を続ければロシアとの敵対関係はさらに激しくなり、誰もが敗者となるだろう。

アメリカの「ダブル・スタンダード」



アメリカの対外政策は「自国のダブル・スタンダード」(アメリカ・ファーストという国家理念に依拠した民主主義と孤立主義)を、国際機関のなかに植え付ける(embeded)ことに本質があるのではないかと思います。

ウクライナ侵攻にともなうロシアのジェノサイド疑惑は、ロシアの責任者としてプーチン大統領ICC( International Criminal Court、国際刑事裁判所)に訴追すべきとの話が出ているようです。しかし、訴追をしても裁くことは難しいでしょう。なぜならロシアはICC非加盟国だからです。また、ロシア同様にアメリカも非加盟国です。

国際連合の総会ではロシアに対する非難決議が可決されましたが、安全保障理事会の決議とは異なり総会決議には法的拘束力はありません。いっぽうロシアは安全保障理事会常任理事国ですから、自国への非難決議案に対する拒否権を発動して廃案にできます。つまり、いかなる総会決議をしようと安全保障理事会でロシア(を含む常任理事国)に法的拘束をかけることは不可能です。

第二次世界大戦後、アメリカの戦争はロシア同様に他国領土で行われていますが、なかには戦争犯罪を問われても不思議でない事例があったと思います。しかし、ICC非加盟国かつ国際連合常任理事国であるアメリカが訴追されたことはなかったと思います。それよりもアメリカは人道主義(民主主義)と民族自決主義(孤立主義)を上手に使い分けることで、国際社会の火の粉を避けながら民主主義の旗手として国際社会における地位固めをしてきたと思います。
その背景となった影の大きなバックボーンは国際連合第二次世界大戦戦勝国パラダイム)ではないでしょうか。
ロシアもアメリカも国際的な免罪符つまり「法的拘束力の回避特権」を持った戦争ができるのですから。

第一次世界大戦後に設立された国際連盟アメリカ大統領の提唱に大きく依拠したものでした。
しかし、アメリカは国際連盟には加盟しませんでした。
第二次世界大戦後、世界平和を目指す国際連合の設立はアメリカ大統領の提唱が大きな力を発揮しました。
そして、アメリカは国際連合の実質的な最高決定機関である常任理事会常任理事の「永久座席」を戦勝四大国(英、仏、露、中)と手を携えて確保し、手続き事項を除く全ての事項に関する議案への「拒否権」を獲得しました。
さらに、枢軸国を監視下に置く「敵国条項」を盛り込んだ国連憲章日米地位協定とを連繋させることで日本を実質的占領下の地位に留めおくことにアメリカは成功したと愚察されます。
第二次世界大戦後のアメリカは他国領土内での戦争を幾度か繰り返しましたが、人道主義(民主主義)と民族自決主義(孤立主義)を上手に使い分けることで、国際社会の火の粉を避けながら民主主義の旗手たる地位固めをしてきたと思います。


日本にはホンネとタテマエの人=「情」のダブルスタンダードがあるように、アメリカでも人道主義(民主主義)と民族自決主義(内政不干渉)という国=「益」のダブルスタンダードがあるように思えます。

アメリカ・ファーストという言葉は全体主義個人主義の二重構造ですから、二重構造の上に築くダブル・スタンダードというべきかもしれません。

 


アメリカにしかないアメリカの良さといったものは、アメリカが国際政治に参加しないことを前提として可能なものであった。”
「文明が衰亡するとき」高坂正堯

 

"米国は建国から第二次世界大戦まで、戦時を除いて同盟国を持たない「孤立主義」の国家だった。ソ連との冷戦を戦うために世界中に同盟国を求め、海外基地ネットワークを張りめぐらせても、孤立主義の考え方は国民の間で根強く支持されている。米国政府にとって、同盟国との地位協定で米国に有利に規定した裁判管轄権は、国内世論の孤立主義を刺激しないための安全弁なのである。"
日米地位協定』山本章子